2020年1月1日。初詣も兼ねて、向島を散策して来ました。
まずは、「飛木稲荷神社」にお参りして…
その隣にある「高木神社」も…
「飛木稲荷神社」と「高木神社」は、よく訪れていますので、レポもしていますね。
飛木稲荷神社・高木神社のレポ
「飛木稲荷神社」・「高木神社」から鳩の街商店街を抜けて路地を進んで行くと、「露伴児童遊園」があります。
「露伴児童遊園」には、モニュメントがいろいろと並んでいるんですよね。
「露伴児童遊園のこと」と刻まれた石碑。
ここは文豪幸田露伴が明治41年から大正13年まで、「蝸牛庵」と名付けて親しんだ住居跡です。
「蝸牛庵物語」という大きなモニュメントには、由緒書きが記されたプレートが3枚、掲示されています。
一つ目。「幸田露伴と向島」。
幸田露伴は、明治・大正・昭和に渡り小説を始め、評論や随筆、詩歌、考証研究などに幅広く活躍し、大きな足跡を残した文学で、向島に初めて住んだのは明治26年。現在の白鬚橋近くにいた父母や兄が、隅田川対岸の橋場に転居したのに伴い、その後に入りました。
「岐雲園」と称されるこの家は、幕府の外国奉行だった岩瀬忠震が建てたもので、汐入の池や梨畑のある広い庭を持っていました。
二つ目「向島蝸牛庵」。
露伴が「岐雲園」に住んだのはわずか1年程でしたが、数年後の明治30年には再び向島へと戻り、当地より程近い雨宮酒店の隠居所を借りて居を定めました。
現在、「博物館明治村」に移築されているこの家では、後に作家になる娘の幸田文が生まれています。
「蝸牛庵」とは露伴の家のことで、若いことから転居続きだった自分を、殻を背負って歩くかたつむりに喩えたのが由来で、生涯に渡って用いられた庵号で、特定の建物を指す訳でありませんので、区別の為にしばしば地名を冠して呼ばれます。
へぇ~「岐雲園」は、「博物館明治村」に移築されているんですね!
今度、行ってみましょう!
3つ目「当地について」。
明治41年(1908)露伴は自らの設計で家を新築し、当地に移り住み、短期間の居住に終わった「岐雲園」を除けばここが第二の「向島蝸牛庵」に当たります。隣には割烹料亭「雲水」の庭が広がる優れた環境で、歴史小説「運命」、「幽情記」・「望樹記」といった代表作がいくつも執筆されました。
この家で少女時代を過ごした幸田文は、当時の様子を「みそっかす」「糞土の墻(かき)」に美しく描いています。
関東大震災によって井戸水が濁ってしまったことなどから、大正13年、一家は16年余りを過ごしたこの地を離れ、小石川に移転して行ったのです。
「露伴児童遊園」には、ネコちゃんが!何故か、睨み付けられてしまいましたが…笑
モニュメントの前には、カタツムリが!「蝸牛庵」ですからね~笑 しかし、可愛らしい♪
「幸田露伴文学碑」。「運命」の一節が刻まれています。
「向島界隈」という由緒書きもありましたが…かすれて読めません…涙
周辺の古地図も掲示されていました。
「向島文学散歩」という案内マップ。向島地区には、明治以降、魅力ある土地柄に惹かれた多くの作家が住まいを構えていました。
「露伴児童遊園」から隅田川方面に進むと、「雨宮商店」があります。露伴が住んだ雨宮酒店の隠居所というのは、ここになるようですね。
「雨宮商店」から鳩の街通りではなく、隅田川寄りの路地を南に、押上駅方面に進むと、「榎本武揚旧居跡」があります。
「榎本武揚旧居跡」は、以前レポしています。
榎本武揚旧居跡のレポ
「榎本武揚旧居跡」から更に路地を進むと、正面に、東京スカイツリーが見えて来て…
左手には、言問小学校があります。
言問小学校の前には、由緒書き「依田學海旧居跡」があって…
佐倉藩士の家に生まれた学海は、藩校成徳書院で学び、教授となり、江戸藩邸留守居薬などの重職を務め、維新後は東京会議所の書記官、文部省勤務に出仕し、漢文教科書の編集に携わり、53歳で退官。創作や文芸評論に力を注ぎました。
森鷗外の師としても知られ、「ヰタ・セクスアリス」の中で文淵先生として登場。
向島の隅田川の土手を臨む須崎村142(向島5丁目・言問小学校辺り)に居を構え、若い妻と幸せな日々を送っていたことを書いています。実際は妾宅で、漢文の直しを乞いに訪ねた若い鴎外は気づかなかったのです。
その近くには、「成島柳北の住居跡」という由緒書きもありました。
成島柳北は、幕府の儒者の家に生まれ、奥儒者として将軍徳川家定公、徳川家茂公に仕え、騎兵奉行、外国奉行などを歴任しました。
明治維新後は新政府の招きを固辞し、「朝野新聞」の主筆として、新聞条例や讒謗律を批判したことで知られました。
明治17年(1884)11月、「海棠園」と呼ばれたこの場所で48年の生涯を閉じました。
初め、横川にある本法寺に葬られましたが、明治42年(1909)に豊島区の雑司ヶ谷墓地に改葬され、明治18年、長命寺の境内に柳北の記念碑が建てられました。
成島柳北の碑がある長命寺のレポ
本法寺のレポ
雑司ヶ谷霊園のレポ
言問小学校から更に南に進んで、水戸街道に出て、東京スカイツリー。
水戸街道を渡り、更に路地を進むと、由緒書き「堀辰雄住居跡」があります。
明治37年(1904)麹町平河町(現在の千代田区平河町)に生まれ、2歳のとき母に連れられ向島小梅町(現在の向島3丁目)に住む叔母の家に移り、明治41年に母が彫金師上條松吉と結婚し、向島中ノ郷町32番地(現在のすみだ福祉保健センター所在地)で暮らし始めます。
新居は「曳舟通りに近い、或る狭い路地の奥の、新しい家」で、辰雄にとって「とりとめのない幸福を今の私にまでまざまざと感じせる」大切な場所であり、辰雄のための小さなブランコが吊るされていた無花果の木や日あたりのいい縁側などがあったと「幼年時代」に記しています。
明治43年の大水で新小梅町2-4(現在の向島1丁目16番)に移るまで、この地で過ごしました。
牛島尋常小学校を経て、府立第三中学校(現在の都立両国高校)を卒業した辰雄は、後に室生犀星の紹介により、同校の先輩である芥川龍之介を知り文学的影響を受けます。
関東大震災では九死に一生を得ますが、母を亡く、大正13年(1924)4月に父松吉が隅田公園の新小梅町8番地(現在の向島1丁目7番)に住居を新築し、辰雄は結婚して軽井沢へ赴く昭和13年(1938)まで、父と共にそこで暮らしました。
辰雄は松吉を慕い、昭和13年12月に松吉が亡くなるまで、彼を実父だと信じていたようです。
人生の過半を向島で過ごした辰雄は「墓畔の家」「幼年時代」などの作品に、当時の墨堤や近隣の寺社の様子を記しています。
「堀辰雄住居跡」の由緒書きがあるのは、「すみだ福祉保健センター」の前になります。
「すみだ福祉保健センター」の前には、「勝田菊蔵氏の像」と胸像があって…
「勝田菊蔵氏の像」の台石の側面には、由緒書きのプレートが…
墨田区長を務めた人物のようです。
「すみだ福祉保健センター」から桜橋通りに進み、本所高校の前の歩道にも、史跡案内板があります。
その案内板は「森鷗外住居跡」。
文久2年(1862)に現在の島根県津和野町に生まれた森鷗外(本名林太郎)は、明治5年(1872)父静男に随い上京、初めに向島小梅村の旧津和野藩主亀井家下屋敷、翌月からは屋敷近くの小梅村87番の借家で暮らすようになり、翌年上京した家族とともに3年後には小梅村237番にあった300坪の隠居所を購入して移り住みました。この向島の家のことを森家では「曳舟通りの家」と呼び、千住に転居する明治12年まで暮らしました。
父の意思で学業に専念する道をつけられた鴎外は、上京2ヶ月後には西周(にしあまね)宅に下宿して進文学社でドイツ語を学ぶ日々を過ごし、東京医学校予科(現東京大学医学部)に入学。
明治9年以後は寄宿舎生活となりましたが、曳舟通りの家には毎週帰り、時おり向島の依田学海邸を訪れて漢学の指導を受けていました。
鷗外の代表作「渋江抽斎」には「わたくしは幼い頃向島小梅村に住んでいた」と記し、弘福寺や常泉寺などがある周辺の様子や人々についても詳しく書き残しています。
明治10年代に原稿用紙に用いたという「牽舟居士(ひきふねこじ)」の号は、近くを流れていた曳舟川(現在の曳舟通り)にちなむものでした。
「森鷗外住居跡」から、桜橋通りを押上駅方面に進み、東武スカイツリーラインの踏切の所で…
東京スカイツリーと、東武特急リバティのコラボ♪
この後、帰路に着きましたので、元日の初詣を兼ねた散策は、これにて終了です。
地元向島には、文人がたくさん住んでいたのですね。よく知らなかったので、勉強になりました(^^)
この後もまた、地元を散策して来ましたので、またまたシリーズでアップして行きます!
その様子は、また後日。
飛木稲荷神社
東京都墨田区押上2-39-6
高木神社
東京都墨田区押上2-37-9
幸田露伴蝸牛庵跡
東京都墨田区東向島1-7-11(露伴児童遊園)
雨宮酒店
東京都墨田区東向島1-9
榎本武揚旧居跡
東京都墨田区向島5-12-14付近
依田学海旧居跡
東京都墨田区向島5-40-14(言問小学校)
成島柳北の住居跡
東京都墨田区向島5-40-14(言問小学校)
堀辰雄住居跡
東京都墨田区向島3-36-7(すみだ福祉保健センター)
森鷗外住居跡
東京都墨田区向島3-37-25(本所高校前)
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