2018年6月上旬の池袋・雑司ヶ谷・早稲田歴史散策の続き。
「宝城寺」「白鳥稲荷神社」「清立院」と参拝した後は、「雑司ヶ谷霊園」に向かいました。
宝城寺・白鳥稲荷神社・清立院のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12571472110.html
「清立院」の前の道路を道なりに進んで行くと、「雑司ヶ谷寺町散策」という案内マップを発見。おお!?著名人のお墓があるんですね!すぐ傍に「雑司ヶ谷霊園」がありますからね。
「雑司ヶ谷霊園」の中に入って、まず向かったのは、こちらのお墓。
こちらは、夏目漱石のお墓。
夏目漱石の墓石に近づいて…。
園内を進むと、「竹久夢二の墓」という案内板を発見。
その案内板の脇の通路を進むと、右側に「竹左飛夢路を埋む」と刻まれた石碑があって…。こちらが竹久夢二のお墓になるようです。
その脇には「竹久夢二の墓」という由緒書きがありました。大正浪漫を代表する画家で、明治17年(1884)9月16日、岡山県邑久郡本庄村に生まれました。本名は竹久茂次郎。
明治34年、単身上京し、翌年早稲田実業学校に入学。卒業後は、白馬洋画研究所に通いました。
明治38年、「中学世界」に小間絵「筒井筒」が一等入選し、初めて夢二と署名。
「夢二式美人」と言われる独特の抒情的スタイルを生み出し、一世を風靡しました。
代表作は、「黒船屋」「長崎十二景」「立田姫」他。
昭和6年(1931)アメリカからヨーロッパへの旅に出るが、翌々年病気にかかり帰国。
昭和9年9月1日、信州の富士見高原療養所で肺結核により死去しました。
こちらは、神学者の柏井園のお墓。
柏井園の墓石。
「国学者 渡邊重石丸の墓」という案内板を発見。
通路を進むと、化学者、うまみ成分発見の池田菊苗の案内板が…。
池田菊苗のお墓は、こちら。
更に進んで、渡邊重石丸のお墓に到着。
「渡邊重石丸(いかりまる)」の由緒書き。天保8年、今の大分県中津に生まれ、幼名は重任といい、後に重石丸と改めました。号を豊城といい、平田篤胤の学問の系統を受け継ぎました。
明治維新後、京都皇学所御用掛、大学御用掛、教授となり、麹町富士見町に私塾「道生館」を設け、その信ずる教育と著述を行いました。
多くの著書のうち「固本策」は特に有名で、乃木将軍もこれを読んで感激し、教えを請い師事したと言います。
渡邊重石丸の墓石に近づいて…。
園内を更に進むと、案内図を発見。おお!著名人のお墓の位置が記されていますね。これを参考にもう少し回ってみましょう!
門のついた墓所を見かけました。十字架も見えますね。
こちらは「聖心会ミッショナリーの墓地」。聖心会はカトリックの女子修道会で、1800年に聖マグダレナ・ソフィア・バラによって、フランスで創立され、1908年にはローマ教皇ピオ10世の命を受け、女子高等教育機関設立の為に、日本にも聖心会会員が送られました。
オーストラリア、ヨーロッパ、アメリカ等から来日し、日本の子女の教育に貢献し、1916年から1953年までに没した聖心会会員が、ここ雑司が谷霊園に埋葬されています。
「聖心会ミッショナリーの墓地」に近づいて…。
それぞれに十字架が設置されていました。
続いて、俳優の大川橋蔵内板を発見。銭形平次で有名な俳優ですね。
大川橋蔵のお墓はこちら。
それから、小説家の泉鏡花の案内板を見つけて…。
泉鏡花の墓石。
こちらは、大きな石碑のようですが…。
歴史家の羽仁五郎のお墓になります。
墓域も広めですね。
「その2」に続く。
雑司ヶ谷霊園
東京都豊島区南池袋4-25
http://www.city.toshima.lg.jp/132/bunka/kanko/kankobutsu/documents/zoushigayareienmap.pdf(豊島区HP「雑司ヶ谷霊園MAP」)
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