2020年11月上旬、仕事で、京王線調布駅から京王多摩川駅方面に、出かける用事がありましたので、またまた仕事の合間に、いつもの歴史散策をして来ました。
京王電鉄調布駅から南側の路地を進み、品川通りの布田4丁目交差点を南に渡ると、変形の三差路があるのですが、その一角に、史跡案内板があります。
その案内板は、「旧品川道(いかだ道)」。かすれてほとんど見えませんが…(^^;
「旧品川道」はこの先に続いています。
由緒書きもあるようなのですが、この日は全然気づかず…残念…涙
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品川通り
(中略)
品川道
古代以降
品川道は、府中(武蔵国国府)の大國魂神社から府中崖線・多摩川沿いに品川(品川湊)・六郷付近まで続いた武蔵国南部の古道で、「品川街道」・「いききの道」・「いかだみち」とも呼ばれた。古墳がこれに沿って点在する。旧石川村で古代東海道(現在は中原街道が通る)と交差した。府中は甲府(甲斐国国府)と道で繋がっていた。
大國魂神社くらやみ祭りの神事で使用されたり、多摩川上流で伐った木材をいかだにして流れて行き、その後人だけ上流へ向かってこのいかだ道を歩いて帰った。
品川区内にも地名は残り、大井町駅南端には品川道踏切が存在する。
江戸時代以降
府中・調布付近の品川道は江戸時代初期の甲府・江戸を繋ぐ甲州街道の一部として使われた。常久一里塚の脇を通り府中の六所宮(大國魂神社)まで続く道であったが、後に北の街道が甲州街道(旧甲州街道)となり、甲州街道が品川道と呼ばれるようになったものである。(後略)(ウィキペディア「品川通り」)
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品川まで続いているので、「品川みち」と呼ばれるのか~
「旧品川道(いかだ道)」の史跡案内板から、路地を東の方に進んで行くと、広場があります。
広場の中には、この付近の土地区画整理事業の竣功記念碑があって…(^^;
広場の奥に進みます。
あら?支柱が2本ありますが…案内板があったようですが、壊れてしまっているようですね(^^
由緒書きを見つけました。こちらは「狐塚古墳(下布田六号墳)」。
多摩川中流域左岸に5世紀前半から7世紀前半にかけて構築された下布田古墳群(円墳20基確認)の終末期に構築された大型円墳で、墳丘径(周溝内径)44m、周溝を含めた外径60.5m、埋葬施設として半地下式の横穴式石室が築かれ、副葬品として、鉄製大刀3点、鉄鏃1点、須恵器や土師器が出土しています。
古墳時代の南武蔵の首長墓は、前期より一貫して多摩川下流域に構築されますが、後期後半になると下流域は首長権を失い、中流域へ移り、円墳の狐塚古墳が築かれた以降に、上円下方墳などの特徴的な古墳が構築され、府中に国府が置かれることと関連するものと考えられています。
狐塚古墳は、多摩川の首長墓の変遷において古墳時代終末期の多摩川中流域における最初の首長墓であり、都内最大規模の円墳として重要です。
この広場は、古墳なのですね♪円墳の名残は、ほとんど感じられませんが…墳丘は削りとられてしまったようですね…
広場の一角には、「三界萬霊之塔」がありました。
「狐塚古墳(下布田6号墳)」の広場を、今一度…
「狐塚古墳(下布田6号墳)」の広場の周りを道路に沿って歩きます。やっぱり、墳丘は見えないですね…
「狐塚古墳(下布田6号墳)」の広場から南に路地を進んで行くと、樹木が鬱蒼としている空間があって、案内板があるんですよね。
その案内板に近づくと、「国指定史跡 下布田遺跡」とあります。
多摩川の沖積地を臨む、崖線に営まれた縄文文化時代の終末頃の遺跡で、従来、現地では子ども用の甕棺墓や土壙墓の他、600余個の河原石を約64㎡に並べた方形の配石遺構が発見され、その中央に出土した長方形の土壙には、長さ38cmの石刀が副葬されていました。
多量の土器や石器の他、呪術的な意味を有する石棒や土偶・土版・石冠なども出土しています。
特に、赤く塗った薔薇の花を思わせる土製耳飾りは美術品としても優れ、昭和54年、国の重要文化財に指定されました。
史跡案内板の向こうには、広場と言いますか、山林と言いますか、空き地が広がっていて…
結構広い空間ですね。ここで、甕棺墓や土壙墓がいくつも見つかったということなのか~
その近くには、「調布市遺跡調査会 調布市博物館分室」があります。出土品が保管されているのでしょうね。
「調布市郷土博物館分室」から西に路地を進んで行くと、公園が見えて来ます。
この公園は「古天神公園」。「古天神遺跡」を公園として整備したものだそうです。
墳丘のようなこんもりした小山もあって…
遊具などもありますよ。
由緒書きは見つからず…
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古天神公園(上布田遺跡)
概要
ここは昔から古天神(ふるてんじん)と呼ばれ、今から千年前の「延喜式」という本にみえる布多天神社のあった所といわれています。
昭和55年に遺跡の発掘調査を行い、1万年位前の旧石器や4、5千年前の縄文時代の人々の生活跡、近くには5世紀ごろの墓、7世紀の堅穴住居3軒、鎌倉時代から室町時代頃の地下式横穴墓10基、河原石を積んだ室町時代から江戸時代の墓10数基が発見されています。 (後略)(調布市HP)
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「古天神公園(上布田遺跡)」から、更に西に路地を進みます。
この路地の右側(北側)は一段高くなっていて、左側(南側)は低くなって、続いているんですよね。どうやら多摩川の河岸段丘のようです。
おまけ。調布市のマンホール蓋。市の花である百日紅がデザイン化されているようです。
「旧品川道(いかだ道)」「狐塚古墳(下布田6号墳)」「下布田遺跡」「古天神公園(古天神遺跡)」と回った後は、更に西に歩いて行きました。
その様子は、また後日。
旧品川道(いかだ道)
東京都調布市布田5-25-3
狐塚古墳(下布田6号墳)
東京都調布市布田6-53
下布田遺跡
東京都調布市布田6-59-10
調布市郷土博物館分室
東京都調布市布田6-61
古天神公園(古天神遺跡)(上布田遺跡)
東京都調布市布田5-53-22
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