如意輪寺と、清雄寺と、曳舟川と、東京スカイツリーと ~東京都墨田区の寺院・史跡 | 九州下町おやじの珍道中

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2019年3月下旬の向島散策の続き。

 

隅田川沿いに「隅田公園」を歩いて、桜を眺めた後は、「如意輪寺」に向かいました。

 

 

隅田川・隅田公園・桜のレポ

 

 

 

 

墨田区役所から路地を入ると、正面に東京スカイツリーが見えて来て…

 

 

 

この路地の左手に、お寺があります。こちらは「如意輪寺」。門柱には「牛島太子堂」とありました。

 

 

鬼平情景 如意輪寺

嘉祥2年(849)慈覚大師が聖徳太子自作の太子像を安置したことに始まると伝わる天台宗の古刹で、「牛島太子堂」「中之郷太子堂」と呼ばれ、広く知られており、門前町は南と東に2箇所開かれていました。

 

 

鬼平犯科帳では、「敵(かたき)」に南の門前にある花屋が何度か登場し、その最初の下りに「大滝の五郎蔵は、まっすぐに市中を突き切り、大川(隅田川)をわたって、本所、中ノ郷元町にある如意輪寺門前の花屋に入った。」とあります。

後に捕縛され、密偵となる大滝の五郎蔵の盗人宿ですが、亭主の利兵衛が何者かに殺されてから話が大きく転換します。

 

そうか、五郎蔵の盗人宿が、ここ如意輪寺の門前という設定だったのですね。忘れていました…(^^;

 

 

 

境内を進んで、御堂の前には、お地蔵様が各面に彫られた石塔がありました。これは珍しい♪

 

 

 

如意輪寺」から東に、本所吾妻橋駅方面に進み、2本ほど北側の路地を進んで行くと、右手にお寺の建屋らしいものが見えて来ます。

 

 

 

こちらは「清雄寺」。スカイツリーが良く見えますね~♪

 

 

 

清雄寺」の正面に回って…

 

 

 

清雄寺」の由緒書き。

寛文2年(1662)法華宗の僧日崇上人により、徳川家康四天王の一人・酒井忠次の菩提を弔う為、酒井家下屋敷のあった本所中ノ郷(現在の墨田区役所世周辺)を寄進して建立されました。

 

 

出羽国庄内郡鶴岡藩主酒井家の菩提寺として永代聖人寺という由緒あるお寺として親しまれて来ました。

明治32年(1899)当寺を日教上人(当山18世住職)が譲り受け、明治34年(1901)ご弘通(布教)の中心となるよう本門佛立講の関東根本道場と称するようになり、関東大震災後、現在地に移転しました。

 

墓地には、32代横綱・玉錦(昭和13年没)、大関・九州山(昭和12年没)等の二所ヶ関部屋有縁の墓や義太夫節・竹本土佐太夫(昭和16年没)の墓などがあります。

 

 

 

本堂に近づいて…

 

 

 

日教上人顕彰碑。

 

 

 

門前の大通り・三ツ目通りを渡り、「清雄寺」を…

 

 

 

清雄寺」から浅草通りを東に、押上駅方面に進み、業平橋の辺りから、東京スカイツリー

 

 

 

業平橋を渡り左折。東武橋を渡り、とうきょうスカイツリー駅の高架をくぐり抜けると、とうきょうスカイツリー駅北交差点に出るのですが、その角にモニュメントがあるんですよね。

 

 

 

このモニュメントは、「曳舟川の由来」。

曳舟川は、徳川幕府が本所開拓に伴う上水として、万治2年(1659)に開削したもので、当時は、本所上水、亀有上水などと呼ばれ、瓦會根(現 越谷市)の溜井から分水して、亀有から四ツ木を経て、本所と深川の各地に配水されたようです。

 

 

享保7年(1722)上水としては利用されなくなりましたが、川筋の脇を四ツ木街道が通り、水戸街道に接続しているため、重要な交通路として利用されるようになりました。

 

曳舟川」と呼ばれるようになったのは、「サッパコ」と呼ばれる田舟のような舟に旅人を乗せ、岸から引かせたことによるものです。

曳舟川には古くから多くの橋が架けられていて、薬師橋、鶴土手橋、地蔵橋、庚申橋などの名前が文献に見られますが、この付近(小梅児童遊園)にも八反目橋が架けられていました。

この辺りの小梅という地名は、元は梅香原(うめがはら)と呼ばれる梅の木の多い地域だったことによるもので、八反目の名も八反梅(80アールの梅林)から来ているとの説もあります。

昭和29年、川としての役割は廃止され、昭和30年代を中心に埋め立てられ、道路として整備されました。

 

 

曳舟川と言えば、異なる場所で、何度かレポしていますね。

 

四つ木曳舟川遺構のレポ

 

 

 

 

加須葛西用水路のレポ(曳舟川の上流部)

 

 

 

 

このモニュメントには、曳舟川の名の由来となった舟を引いている姿も絵が描かれていて…

 

 

 

曳舟川の由来」モニュメントから右手に延びる道路が、曳舟川通り。かつて、ここに曳舟川が流れていた、ということなんですよね…曳舟川の名残は、通りの名称として残っています。

 

 

 

この後、帰路に着きましたので、このシリーズもこれにて終了です。

地元をじっくり歩くと、またまた新しい発見があるな~良く知っていると思っていましたが、知らないことも多いんだな~と実感しています。

この後もまた、地元を散策して来ましたので、またまたシリーズでアップして行きますね。

その様子は、また後日。

 

 

 

如意輪寺

東京都墨田区吾妻橋1-22-14

 

 

清雄寺

東京都墨田区吾妻橋2-14-6

 

 

 

 

曳舟川の由来モニュメント

東京都墨田区押上2-1-1付近

 

 

 

 

 

 

 

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