2019年1月14日に、プライベートで出掛けた四つ木・立石・青砥散策を速報でレポしましたが、こちらもまたまたシリーズでアップして行きますよん(^^)
2019年1月14日の四つ木・立石・青砥散策の速報レポ
https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42242373.html
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12432986393.html
京成押上線四ツ木駅に到着。一つ押上駅寄りの八広駅は、以前は、荒川駅と呼ばれていたんですよね。
駅のホームから、東京スカイツリーがバッチリ見えました♪
四ツ木駅は、荒川放水路と綾瀬川の東岸すぐにあるんですよね。八広駅は西岸すぐに位置しているので、荒川駅という名前だったのでしょう。でも「荒川」というとどこだか分かり難いですもんね…。それで改称したのかな?
四ツ木駅の全景。キレイになったような気がする…(笑)
四ツ木駅から、荒川・綾瀬川に沿って北上とすると、新四ツ木橋・四ツ木橋の橋梁が見えて来るんですが、そこには「四ツ木橋排水場」というポンプ施設があるんですよね。
荒川・綾瀬川方向を見ると、堤防と水門があって…。
「四ツ木橋排水場」には、配管やポンプが置かれていて…。排水施設だということが良く分かります。
四ツ木橋の下は、水路のようになっていて…。
上の写真の向かい側に進んでみると…。この先は、先程の水門が繋がっているようです。
こちらは「曳舟川遺構」。かつて「曳舟川」と呼ばれる水路が、ここにあった訳です。
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曳舟川
曳舟川(ひきふねがわ)は、東京都葛飾区から墨田区にかけての川筋で、舟に人を乗せて曳いた交通手段の曳舟に由来する川であった。
(中略)
概要
曳舟川の名称が付けられた区間は、江戸期に開削された葛西用水や亀有上水の水路を利用しており、昭和4年の荒川放水路の開削による川筋の分断のために早くから自動車道に改修された。
江戸期の後期から明治の初めごろにかけて行われた曳舟は、一種の水上交通機関ではあったが、舟を曳く動力が陸からの人力であるため、馬とか籠などの陸上交通機関の要素も含まれたものであり、当時曳舟は異色の交通機関として人気があり、江戸市中から下総、水戸方面へ行く、多くの旅人に利用されている。他の都市河川と同様に、1964年東京オリンピックが開催された昭和39年ころまでは、小魚などの生物が生息している川であったが、高度成長期に入ると生活雑排水やメッキ工場からの排水が流れ込み瀕死の状態となっていた。
排水規制等によって、水質は改善されたものの、葛西用水の一部区間の公園化や葛西用水からの取水ができなくなったことにより、現在の曳舟川は支流も含めて埋め立てられ、水路は存在しない。
葛飾区の区間は、人工的な水の流れをつくり、曳舟川親水公園となり、自然の川を再現した区間や、シャワーを備えた親子向けのプールになった区間もある。また墨田区内では、流路上に作られた道路が「曳舟川通り」と名付けられている。
(後略)(ウィキペディア「曳舟川」)
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B3%E8%88%9F%E5%B7%9D
舟を人が岸・陸から綱を引いて動かしていたので、「曳舟川」と呼ばれるようになったのですね!
曳舟川は墨田区方面に流れていて、「曳舟」の地名も「曳舟川」から来ているんですよね~♪
現在は、埋め立てられ道路になってしまっていますが…。
「曳舟川遺構」には、昔、使用されていたと思われる橋のようなものもあって…。四ツ木橋の高架があって、今では使用されていませんでした…。
「曳舟川遺構」を東側から…。橋梁の下が「曳舟川遺構」になります。
四ツ木駅で下車して、「曳舟川遺構」を見学した後は、「四つ木つばさ公園」に向かいました。
その様子は、また後日。
曳舟川遺構
東京都葛飾区四つ木1-7-9付近
http://www.city.katsushika.lg.jp/kurashi/1000058/1002752/1002848/1002889.html(葛飾区教育委員会HP)
https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42271786.html