2019年6月下旬の経堂・宮の坂歴史散策の続き。
「世田谷八幡宮」の続き。
世田谷八幡宮(その1)のレポ
参道正面に社殿が見えて来て…
拝殿に近づきます。御祭神は、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后。
顔出しパネル!(笑)
なかなか広い境内です。
拝殿を横から…
石畳が続いている方に進んで行きます。
石畳の脇の狛犬。
奥には、御社があります。
こちらは、「世田谷招魂社」。御祭神は、日露戦争、太平洋戦争の世田谷区域の戦没者。
世田谷1丁目にあった乃木神社(乃木将軍の甥玉木正之氏建立)の社殿を玉木氏より譲り受け、旧軍人山の場所に、昭和31年(1956)、氏子内、代田1丁目、弦巻町、経堂町の戦没者をお祀りしました。
「世田谷招魂社」の御社に近づいて…
日露戦役紀念碑。
「軍人山」と刻まれた石碑もあって…
大きな石碑がいくつも並んでいました。
「世田谷招魂社」の奥にも、摂社があります。
こちらは、「高良(こうら)神社」。御祭神は、高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)。
境内、氏子区域に散祀されていた天祖神社、高良神社、金毘羅神社、六所神社、北野神社、御嶽神社、日御碕神社、稲荷神社を、大正元年(1912)整理合祀された神社になります。
「高良神社」の御社の中の様子。
「世田谷八幡宮」の本殿。
こちらは、仮殿。
境内には、力石もありました。
たくさんの力石が納められていますね。奉納相撲が行われるだけあって、力自慢が集まりますので、力強さを競ったのでしょうね。
「世田谷八幡宮」の由緒書き。
寛治5年(1091)源義家公が奥州からの帰途、世田谷の地に寄り、戦勝を感謝し創建されたと伝えられ、天文15年(1546)世田谷城主吉良頼貞(後に吉良頼康と改名)が社殿を修築造営した時、備前雲次太刀を一振寄進し、吉良氏領内第一の神社として尊崇されました。
天正18年(1590)吉良氏と婚姻関係にあった小田原北条氏が豊臣秀吉公によって滅ぼされた後、徳川家康公が関東に入国し、翌19年、家康公は世田谷八幡宮の旧領11石を朱印地としました。
明治5年(1872)郷社となり、社名を「宇佐神社」と改めましたが、太平洋戦争後、「世田谷八幡宮」に復しています。
「世田谷八幡宮」をお参りした後は、東急世田谷線宮の坂駅に向かいました。
その様子は、また後日。
世田谷八幡宮
東京都世田谷区宮坂1-23-20
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