八坂神社・築山神社・築山館跡(その2)と、山口市菜香亭と ~山口県山口市の神社・史跡 | 九州下町おやじの珍道中

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2019年8月13日の山口県山口市歴史散策レポの続き。

 

石山観音堂」「八坂神社・築山神社・築山館跡」の続き。

 

 

石山観音堂・八坂神社・築山神社・築山館跡(その1)のレポ

 

 

 

 

 

八坂神社」の本殿。朱が鮮やかです。

 

 

 

八坂神社本殿」の由緒書き。国指定重要文化財。

当神社は、今から600余年前の応安3年(1370)に大内弘世公が京都から勧請したもので、素盞嗚尊、稲田姫命、手名槌命、足名槌命を祭神としています。

 

 

始めは、上竪小路に建立されましたが、水の上に社地が替えられ、永正16年(1519)に大内義興公が大神宮を高嶺山麓に建立した時に、当神社もその地に移し、社殿を新築しました。

江戸時代末期に、毛利敬親公が現在地に移転しましたが、本殿は永正年間に建立されたままのものです。

 

祭礼は7月20日の夜から7日間にわたって行われ、古来山口の祇園祭として有名で、大内氏の時代から伝わっている神事「鷺の舞」(山口県指定無形文化財)も、この祭りの時、奉納されます。

 

 

 

境内には、朱の鳥居が並んでいて…こちらは「祇園稲荷神社」。

 

 

 

古そうな石碑も並んでいて…

 

 

 

祇園稲荷神社」の御社に近づいて…

 

 

 

箏曲組歌発祥之地」と刻まれた大きな石碑。

 

 

 

その近くには、由緒書きがありました。「組歌」は八橋検校(1614~1685)が確立した箏曲の根本形式で、その楽式の源流は雅楽曲「戯天楽」にまで遡りますが、そこから発生したの弾き歌いの音楽は、中世末期に賢順により筑紫箏として大成され、八橋検校による新工夫が加えられ、今日の箏曲の創始に至りました。

 

 

安永天明の頃(1780年前後)の箏曲組歌の譜本「箏曲大意抄」の中に、大内義隆公とのつながりが記されているので、ここ「八坂神社」「築山館跡」に、このような石碑が建立されたのですね。

 

 

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八橋検校(やつはし けんぎょう、慶長19年(1614年) - 貞享2年6月12日(1685年7月13日))は、近世中期の日本で生きた人物である。江戸時代前期の音楽家であり、検校を務めた。名は城秀。出身は諸説あるが、山田松黒が安永8年(1779年)に記した『箏曲大意抄(そうきょくすすたいいしょう)』より陸奥国磐城(明治期の磐城国、現・福島県いわき市)が定説とされている。他に摂津国(現・大阪府北中部、ほか)とする説もある。

(中略)

銘菓・八ツ橋

八橋検校の死後、その業績を偲んで、箏の形を模した堅焼き煎餅が配られたといわれ、これが京の銘菓「八ツ橋」の始まりと伝えられている。

箏組歌

八橋検校がそれまでの様々な中世の箏歌を基礎にして生み出した音楽のジャンルで、江戸時代に盛んに行なわれていた。箏組歌は全部で三十数曲あり、「若葉」「橋姫」など、その半数ほどが『源氏物語』を典拠としたもの。箏組歌「若葉」は「若紫」の巻に登場する和歌6首をもとに、「橋姫」は宇治十帖の「橋姫 (源氏物語)」巻から「浮舟 (源氏物語)」巻までの和歌をもとに作られている。(後略)(ウィキペディア「八橋検校」)

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京都の銘菓、お土産で有名な「八ッ橋」は、八橋検校にゆかりのあるお菓子だったのか~

 

 

 

八坂神社」の境内を進むと、また別の鳥居があります。

 

 

 

鳥居をくぐると、立派な社殿が!こちらは「築山神社」。

 

 

 

築山神社」の拝殿に近づいて…

 

 

 

築山神社」の本殿も立派です!で、でも…屋根にはシートがかけられていて…台風のせいでしょうか、傷んでいるようです…

 

 

 

句碑もあって…。

 

 

 

大内義興卿碑」。揮毫は、長州藩14代藩主毛利元徳卿。

 

 

 

大内氏月見之松紀念」という石碑もあって…。

 

 

 

築山跡」の由緒書き。ここは大内氏28代大内教弘公が15世紀中頃に築いたと言われる「築山館跡」で、歴代当主の居館となりました。

 

 

築山館」は、大内氏滅亡後は朽廃しましたが、園池の跡は残っていたと言われますが、この池も江戸時代中頃に、周囲の築地の土で埋めてしまい、現在のようになったと言われています。

現在、北西隅に、かぎの手に土塁(築地)が残っています。

 

 

 

築山跡平面図」。

 

 

 

史跡 大内氏遺跡 築山跡」と刻まれた石碑。

 

 

 

築山館跡」である「八坂公園」から「八坂神社」「築山神社」の方を眺めて…

 

 

 

こんな由緒書きも…「盃状穴が刻まれた巨石」。「盃状穴」は、性のシンボルとして、死者をよみがえさせることや豊作を願うことを意味する刻印と考えられていて、今日でも、一種の「願」をかける場として使用しています。

 

 

ヨーロッパでは、田舎の女性が男児出産を祈る時に「盃状穴」を訪ねたり、夜間にバターを「盃状穴」に流し込んで祈ればその年の家畜と農業の生産高が上がるという信仰が続いています。

 

 

 

由緒書きの近くには、穴の開いた大きな石が置かれていました。ここでも、願掛けが行われているのでしょうか…

 

 

 

八坂神社・築山神社・築山館跡」から萩往還を再び北に進んで行きます。

 

 

 

すると、土塁が見えて来て…。こちらが「築山館跡」の名残の築地のようです。

 

 

 

萩往還を北上し、一つの信号を右折して、暫く進むと、左手に「山口市菜香亭」があります。

 

 

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山口市菜香亭(やまぐちしさいこうてい)は歴史豊かな山口の観光拠点として、また市民交流の場として平成16年10月2日に開館した施設です。

建物は、明治10年の創業から平成8年までの間、広く親しまれてきた料亭〈祇園菜香亭〉を移築復元したもので、井上馨や佐藤栄作など著名人の扁額29枚とゆかりの所蔵品が展示されています。(後略)(山口市菜香亭HP)

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ここ「山口市菜香亭」は歴史的建造物でもあるので、見学するつもりでしたが、生憎、火曜日で休館…内部を見学することができず…(涙)

 

 

 

門の外から、ただ眺めるだけ…

 

 

 

八坂神社・築山神社・築山館跡」「山口市菜香亭」と回った後は、「野田神社・豊栄神社」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

八坂神社・築山神社・築山館跡

山口県山口市上竪小路100

 

 

 

山口市菜香亭

山口県山口市天花1-2-7

 

 

 

 

 

 

 

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