2019年7月中旬の上井草散策の続き。
「観泉寺」の続き。
上井草駅・機動戦士ガンダム立像・観泉寺(その1)のレポ
「観泉寺」の山門をくぐり、境内に入ります。
おお~キレイなお庭ですね~♪
鐘楼。
参道正面には、本堂。
本堂に近づいて…
本堂に向かって左手には、様々な石が配置されていて、その向こうに、堂宇があります。
その堂宇に近づいて…
その堂宇脇には、聖観世音と刻まれた石碑と、宝篋印塔。
お庭は、本当によく手入れされていますね。左奥が山門になります。
その右手、キレイな芝生の奥には、池があって…
その池には、滝が!
本堂の裏手に回ると、墓地になるんですが、古い石仏が並べられていて…
墓所を進むと、塀で囲われて、大きな樹木が植えられている場所があるんですよね。
こちらが「今川氏累代墓」。戦国時代、桶狭間の戦いで織田信長公に敗れた今川義元公の子孫は、江戸時代には高家として幕府に使え、今川家は知行所として上井草、下井草、鷺宮、中村などを給され、幕府の儀式典礼をつかさどり、将軍の名代として京都への使者や日光・伊勢などの代参を務めました。
義元公から3代目となる今川直房は、この「観泉寺」を今川家の菩提寺とし、今川氏の始祖今川国氏公や義元公など今川一族の供養を行うようになりました。
墓碑が残るのは、義元公の子今川氏真公以降の当主や一族出身の女性や子供など、多岐にわたっています。
また「観泉寺」は、今川氏の所領支配の中心でもあり、年貢の徴収や裁判の拠点となっていて、この周辺の「今川」という地名も今川家と「観泉寺」とのかかわりに因むものです。
塀の中に入ります。
おお~たくさんの墓石が並んでいますね~
案内板がないので、どなたの墓石かは、分かりませんでした…
「今川氏累代墓」の隣には、無縁仏の供養塔があって…。
「観泉寺」のお参りを終えて、境内の外に出て、塀に沿って歩きます。
たくさんの木々が生い茂っていて、閑静で厳かな雰囲気。
途中、祠や石碑がある空間があるんですよね。
左手の石碑は、石仏が刻まれていました。
こちらにも、御社と石像が…
御社に近づいて…
石仏は、6基並んでいました。
「今川氏累代墓」のある「観泉寺」を参拝した後は、上井草駅に向かいました。
その様子は、また後日。
観泉寺
東京都杉並区今川2-16-1
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