2020年3月中旬の篠栗・南蔵院散策の続き。
城戸南蔵院前駅・城戸橋・戦没地蔵尊・南蔵院(その1)のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12598253898.html
「城戸文殊堂」から緩やかな坂道を登って行くと、右側に石段が見えて来ます。
「別格本山南蔵院」とありますね。
反対側には「篠栗四国総本寺」とあります。
石段を上ると、交通安全祈願の石碑と不動明王像があって…。
石祠の中にも、不動明王像。
「南蔵院」の境内地図。当寺名物の釈迦涅槃像は、右の奥にあるんですね。
このトンネルの奥に、涅槃像があるそうです。まずは、本堂に向かう為、右側に進んで…
階段を上ると、本堂。篠栗四国第一番札所になります。
本堂は一段高くなっていて、その奥にも御堂が続いています。
階段を下り、薬師如来像。
慈母観世音菩薩像。
先程見えていた堂宇の前に来て…。弘法大師の提灯が見えます。こちらは「大師堂」。
こちらにも、観音様がいらっしゃって…
「御宝号一億萬遍標」と刻まれた石塔。
その横には、巨大な不動明王像が!デカい!!!
「大聖不動明王」の由緒書き。
巨大なお不動の横には、ものすごい数の石像が!!!
一つとして、同じものがないようです。
石像の脇の石段を上って行くと、滝が見えて来ます。
更に石段を登って行くと、「霊場開基・尼僧慈忍祈祷の地」という由緒書きがあって…。
ここ不動の滝は篠栗四国霊場発願の地で、天保6年(1835)尼僧慈忍が本四国霊場巡拝の帰路、篠栗村に立ち寄った処、村人は疫病と飢餓に苦しんでいました。
慈忍は疫病退散、村民息災の大願をたて、ここ城戸不動の滝にこもり、一心に祈祷を続け、弘法大師に救いを求め、その願いが成就し村は病魔から解放され、平和を取り戻しました。
慈忍は、この地を弘法大師ご請願の実証を得た霊地として、篠栗村に八十八ヵ所霊場を創設することを発願。
慈忍は志半ばで没しましたが、その遺志を継いだ藤木藤助翁が、村人の有志とともに本四国霊場の砂を持ち帰り、八十八体の本尊石仏を村内各地に安置して、篠栗四国霊場が創設されました。
なるほど!それで、篠栗に四国霊場があるのか~
滝の下には、橋が架けられていて…。その向こうには、不動明王が安置されていました。
その橋の上から、不動の滝を…。
更に石段を上ると、御堂が見えて来ます。こちらは「奥の院」。
由緒書き「平家落人伝説の地」。昔からこの谷は「平家谷」と言われ、滝の前の橋を渡った所の巨岩は平家の落人が隠れ住んだという伝説があり、「平家岩」と呼ばれています。
1185年、平家は壇ノ浦の戦いに敗れ滅び、8歳の安徳帝は海の藻屑と消えましたが、三歳年下の妹「千鶴姫」は家臣とともに、ここ「平家岩」に身を潜めていたという伝説が残っています。
千鶴姫はその後、山鹿氏(現在の福岡県遠賀郡芦屋町にいた領主)に育てられ、その嫡男と結婚。千鶴姫はとても美しく、結婚後は、千寿姫、紅梅姫と呼ばれ、領民から慕われてその地で一生を過ごしました。
この地にも、平家落人伝説があるんですね。壇ノ浦からは距離的に近いので、あり得る話でもありますね。
しかし、安徳天皇に妹がいたとは…。
奥の院の横には、トンネルがあって、「不動霊水窟」と言います。中は、くり貫かれた洞窟で、祭壇と霊水がありました。
不動の滝に近づいて…。近くなので、迫力がありますよ♪滝の下にも、石仏が安置されています。
吊橋を渡ります。
橋の上から、不動の滝を眺めて…。滝の上にも、お不動がいらっしゃいますね。
吊橋を渡ると、目の前に、巨岩が!先程の由緒書きにあった「平家岩」です!
南蔵院
福岡県糟屋郡篠栗町大字篠栗1035
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