2018年8月16日の鹿児島知覧町散策レポの続き。
「豊玉姫神社」をお参りした後は、「知覧特攻平和会館」に向かいました。
豊玉姫神社のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12583934263.html
レンタカーで移動したんですが、乗車したら、ものすごい雷雨になって、ビックリ!
ワイパーの速さを最大にしても、前が見えないくらいに…
でも、「知覧特攻平和会館」の隣にある「南九州市コミュニティセンター知覧文化会館」の駐車場に到着した時には、雨は上がってくれました。ラッキー♪
車を降りて、「知覧特攻平和会館」に向かう途中、「知覧節の由来」という石碑があるって…
知覧節は、藩政時代の末期には盛んに歌われていて、権右衛門千代袈裟とか尾籠千亀とか庄屋どんの歌とか、その頃の歌が多く残っています。
知覧節の元歌は、大隣岳から眺めた大自然の歌で、お祝いの歌や愛の歌、恋の歌、労働の歌、遊ぶ時の歌など、いろいろあって、戦前の歌が160首、残っています。
その横には、「知覧節」を刻んだ石碑がありました。
知覧のことを刻んだ石碑もあって…。特攻隊員のことが刻まれていました。
こちらは、特攻隊員と、富屋食堂の鳥濱トメさんが…。石原慎太郎氏の銘が見られます。
ホタル。降旗康男氏の言葉が刻まれていて…。
鶴田正義氏の言葉。
「知覧特攻平和会館」の建物が見えて来ました。下町おやじは初訪問。
館内は写真撮影不可ですので、写真はありません…。
館内には、知覧飛行場の歴史から、特攻隊員たちの遺品や遺書・英霊などがたくさん展示してあって、一式戦闘機「隼」・四式戦闘機「疾風」も展示してあります。
詳しくは、知覧特攻平和会館HPをご覧下さい。
しかし、隊員たち若者の遺品・遺書を見ると、涙が溢れ出てしまって…(涙)
じっくりと拝見することができませんでした…
館内を一通り見学し終わると、やっと撮影OKの展示があるんですよね。零式戦闘機。所謂、ゼロ戦です!
プロペラの部品も展示されていて…
おお!こちらは、大きなプロペラとエンジンが!
翼には、機銃が見えていますね。
この零戦は、鹿児島の甑島の沖の海底から引き揚げられたもののようです。復元された操縦席の計器類もありました。
反対側の翼。13ミリ機銃と20ミリ機銃が搭載されているんですね。
後ろに回って…。操縦席から尾翼まではありませんでした…
翼をアップで。
操縦席を後ろから。
長い間、海底に沈んでいたことがよく分かりますね…
プロペラと、13mm機銃。
「知覧特攻平和会館」の見学を終えて、外に出ると、平和の鐘がありましたので、一回優しく撞きました。
「慟哭、誓いの碑」
「知覧特攻平和会館」の建屋のすぐ横には、三角屋根の建屋があります。
こちらは、「三角兵舎」。特攻隊員の宿舎を復元したもので、敵の目を欺くために、松林の中に半地下壕をつくり、屋根には杉の幼木をかぶせ、擬装していました。
各地から集まった隊員は2~3日後には沖縄の空に散華されました…
出撃の前夜にはここで壮行会が催され、酒を酌み交わしながら隊歌を歌い、薄暗い裸電球の下で遺書を書き、別れの手紙をしたためて、出撃して行きました…
中に入ると、中央が通路になっていて、両脇が一段高くなっていて、布団が敷かれていました。
こちらは、ボロボロの鉄板のようですが…。垂直尾翼と書かれているものがありますので、先程のゼロ戦の後ろの部分化も知れません。
当時の写真もありました。真心を込めて全国の女学生から贈られたお守り人形(マスコット)に喜ぶ特攻隊員たち…
出撃の服装に身を固め、集合命令を待つ特攻隊員たち…
このような粗末な宿舎で、特攻の準備をしていたんですね…悲し過ぎます…(涙)
「三角兵舎」の外に出て、振り返って…。
「知覧特攻平和会館」と、「三角兵舎」を見学した後は、すぐ隣にある「知覧町護国神社」に向かいました。
その様子は、また後日。
知覧特攻平和会館
鹿児島県南九州市知覧町郡17881
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