埋門ノ館と、時の太鼓と、二ノ門堀と、大石町の石造恵比須像と ~佐賀県唐津市の史跡・石像・街並 | 九州下町おやじの珍道中

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201811月3日の唐津くんち見物の続き。

 

唐津くんち西の浜お旅所」で曳込が終わった曳山を見学した後は、唐津市内をもう少し散策してみました。

 

 

唐津くんち西の浜お旅所の曳山のレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12528881542.html

 

 

唐津くんち西の浜お旅所」から東に進み「旧大島邸」の敷地を通り過ぎると、左手に昔ながらの門が見えて来ます。

 

 

 

こちらは「埋門ノ館」。

 

 

 

埋門ノ館」は、旧唐津藩時代の名称を付した建物で、茶道、華道、舞踊、能等の臣民の文化・社会教育活動の場として利用できる唐津市の公共施設で、白壁の築地塀に囲まれた武家屋敷風の木造平屋建ての建物になります。

 

 

 

埋門ノ館」に近づいて…。おお~情緒ある建屋ですね~♪歴史的建造物ではないですが、いい雰囲気です♪

 

 

 

埋門ノ館」から更に東に進むと、左手に、お寺の鐘楼のような建屋が見えて来ます。

 

 

 

こちらは「時の太鼓櫓」。唐津城址整備計画の一環として、唐津藩絵図に基づき、再現したものです。

 

 

唐津藩は、初代寺沢志摩守広高が文禄4年(1595)に藩主となって以来、大久保、松平、土井、永野、小笠原と6代270余年間、江戸幕府の譜代大名として、統治して来ました。

代々の唐津藩絵図によりますと、4代城主土井公時代に、この地に「時鐘」が置かれ、後に「金附堂」「時太鼓堂」「撞鐘堂」となり、5代藩主水野公時代には「時之太鼓」と記されています。

6代藩主小笠原公時代になると「時打櫓」として、同じ城内の別の場所に記されています。

時の太鼓」の櫓の大きさは、高さ7.68m、間口4.84m、奥行き5.36mで、時計はからくり仕掛け時計で、午前7時から午後7時までの毎正時、太鼓の音ともに中から武士人形と大太鼓がせり出し、武士が大太鼓を打ち鳴らし、当時が偲ばれる「時」を告げます。

 

 

 

時の太鼓櫓」を別角度から…。

 

 

 

時の太鼓櫓」の脇の道路の向こうにはお濠があります。

 

 

 

こちらは「二ノ門堀」。唐津藩初代藩主寺沢志摩守広高が慶長7年(1602)から7年かけて唐津城を造りましたが、松浦川の河口を満島山(現唐津城一帯)東側に付け替え、二ノ丸と三ノ丸の間にあった旧川筋を堀に活用したと言われています。

 

 

この堀は「二ノ門堀」「二ノ門外堀」と呼ばれていて、三ノ丸に住む藩士たちは、この堀を渡って登城していました。

堀の北東側には、海に向かって北ノ門と呼ばれる門が開いており、二ノ門の西側には時の太鼓撞金堂と呼ばれる時を告げる櫓がありました。

 

 

 

川を利用したので、川の名残を感じますが、石垣もあるので、やっぱりお堀に見える♪

 

 

 

二ノ門堀」の海の方を眺めて…。

 

 

 

時の太鼓」と「二ノ門堀」が交差点には、銅像が立っています。

 

 

 

こちらは「奥村五百子刀自像」。「五百子」は「いをこ」と読むそうです。

 

 

 

奥村五百子刀自(いをことじ)」の由緒書き。弘化2年(1845)唐津市中町高徳寺に生まれました。父は左大臣二條治高公の孫で増千代と称し、9歳で高徳寺に養子に入り12世奥村了寛。母は、小笠原藩士山田円太夫の娘で浅子といいます。

 

 

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(婦人運動家)奥村五百子(おくむらいおこ)

傑出(けっしゅつ)した婦人運動家

(前略)

18歳の時、勤王派の父了寛の頼みで長州まで密書を届けることになりました。男武者に身なりを変えて、長州に向いました。赤間が関を通過しようとした時に警備の者に捕まり、通せ通さぬと押問答をしていると奇兵隊隊長高杉晋作が通りかかりました。これは好機だと思った五百子は初めて会う晋作に向って「高杉先生よいところでお目にかかりました。唐津の奥村です。父の言いつけで来ました」と声をかけました。晋作は唐津の奥村が勤王の志士として活動しているのを知っていたので、話を聞き無事役目を果たせるよう取り計らいました。五百子はこの後、西郷隆盛とも出会い、勤王の志士達の連絡に走り回るようになりました。

(中略)

五百子は郷土唐津のために多くの仕事をしていますが主なものとして、松浦橋架橋、西唐津開港指定、鉄道唐津線開設、海軍貯炭場(舞鶴公園下)払下げなどがあります。

町の人達が1番望んだのは、松浦川に橋を架けることでした。対岸の満島に行くには渡し舟しかなく、不便で仕方ありませんでした。架橋(かきょう)に必要な用材を確保するため五百子は上京し、岸岳官有林の払下げを陳情しました。五百子の郷土思いの熱意が通じ、官有林払下げが許可されました。その結果、工事が実施され、九州一の長い松浦橋が明治29年(1896年)に完成しました。出しゃばり婆さんと陰口をたたいていた人でさえも「五百子は唐津の宝だ、日本一の女傑(じょけつ)だ」と褒め称え(たたえ)ました。

明治33年(1900年)に、北清事変が起こりました。戦地へ慰問団(いもんだん)を送ることになり、ただ一人女として慰問団員として北京へ向いました。戦場となった場所を回り、戦争のむごたらしさ、戦闘のすさまじさを体験しました。帰国した五百子は小笠原長生を訪れ「戦死した兵士の遺族は働き手を失い、国の手当があるとはいえ、明日からどうして暮らしていくか途方にくれています。これらの人達を温かく助けていくのは、国民の務めです。この婆はなぜ戦争せねばならぬか分りません。女の私がしなければならないことは、戦争で傷つき嘆き(なげき)悲しむ人に手を差し伸べることです。そのため、軍人遺族救護の婦人団体を作ることにします。」と訴えました。

さっそく準備が進められ明治34年(1901年)、愛国婦人会の発会式が行われました。席上五百子は「半襟一つ買う金を節約して献金してください。それを集めて遺族を慰める資金にします。全国の婦人がこぞって賛同くだされば大きな資金となります。どうかこの会にお入りください」と訴えました。胸を病んだ老婆が薬瓶を持参し、極端に経費を切り詰め「半襟一本運動」を遊説して回ったのです。その熱意が人の心を動かしました。(後略)(唐津市HP)

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https://www.city.karatsu.lg.jp/bunka/tanbo/jinbutsu/okumura.html

 

 

 

奥村五百子刀自像」のある交差点の先も、堀が続いていて…。

 

 

 

二ノ門堀」は町田川につながっているんですが、町田川の先には、唐津城が見えていました(^^)

 

 

 

二ノ門堀」から町田川を渡り、路地を進んで行くと、民家と民家の間に、石の鳥居を発見。扁額には「合神社」とあります。

 

 

 

鳥居の横には「満島稲荷神社神殿建築紀念」という石碑がありました。あら?こちらは「満島稲荷神社」が正しい?

 

 

 

鳥居をくぐり、社殿。この地域の集会所にもなっているようです。

 

 

 

唐津の街中を歩いていると、青い色の幕がかけられている御宅を多く見かけました。しかも玄関が開いている…。これって、唐津くんち特有の風習のようですね。

 

 

 

路地を歩いていると、石像を発見。

 

 

 

こちらは「大石町の石造恵比須像」。唐津市の重要有形民俗文化財に指定されています。

 

 

この辺りは、旧唐津藩時代から昭和初期にかけて、海産物や農作物の市で賑わった所で、鯛を小脇に抱え微笑して座っている本像は座高74cm、幅53cmの石像で、その台石には「道標」などが刻まれ、左面には天保10年(1839)の銘が見られます。

 

台座の正面には、「宝蔵」「左佐賀、長崎」「前筑前浜崎」「右平戸、呼子」と刻まれているそうです。

 

 

 

大石町の石造恵比須像」をじっくりと…。いい表情していますね~♪

 

 

 

エビス像の横には「大石町の石造恵比須像」の案内石碑がありました。

 

 

 

埋門ノ館」「時の太鼓」「二ノ門堀」「大石町の石造恵比須像」と回った後は、「唐津天満宮」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

埋門ノ館

佐賀県唐津市北城内6-56

https://www.city.karatsu.lg.jp/bunka/shisetsu/uzumemon.html(唐津市HP)

 

 

時の太鼓櫓

佐賀県唐津市北城内6-56

 

 

奥邨五百子刀自像

佐賀県唐津市大名小路3-3

https://www.city.karatsu.lg.jp/bunka/tanbo/jinbutsu/okumura.html(唐津市HP)

 

 

合神社

佐賀県唐津市栄町2585-1付近

 

 

大石町の石造恵比須像

佐賀県唐津市大石町2421-4付近

 

 

唐津くんち

https://www.karatsu-kankou.jp/feature/karatsukunchi/(唐津観光協会HP)

 

 

 

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