三浦按針屋敷跡と、日本橋と、久安橋と、八丁堀(桜川)と、中ノ橋と ~東京都中央区の史跡・橋・街並 | 九州下町おやじの珍道中

九州下町おやじの珍道中

下町おやじが、愉快に美味しく楽しく過ごす九州。
よかとこやね~九州は♪大好きバイ(^^)

20187月中旬、またまた、日本橋から八丁堀に、それから佃島へと出掛けて来たんですよね。この日はプライベートだったので、じっくりと歴史散策しちゃいました♪

 

 

まずは、日本橋室町から。オフィス街なんですが、路地に入ると、昔の建物が結構残っているんですよね。

 

 

このビルも、また渋いな~♪こちらは「中華料理 大勝軒」。老舗の中華屋さんです。

 

 

この日とは別の20194月中旬に、「大勝軒」に食べに行ったんですよ♪

その時のA定食ラーメン+半炒飯

 

 

食べ終わって店内の張り紙を見て、ビックリ!当店は、20194月下旬で、閉店されるとのこと…。建物の老朽化や再開発等の影響だそうですが…。残念(涙)

もっと早く食べに行くんだった…(涙)

 

 

大勝軒」から一本南側の路地を歩くと、ビルとビルの間に、石碑を発見。

こちらは「史蹟 三浦按針屋敷跡」。三浦按針ことウィリアム・アダムスの屋敷が室町にあったのか~知らなかった…室町にはよく出掛けていたのに…(涙)

 

 

石碑には由緒書きが刻まれています。ウイリアム・アダムスは1564年イギリスのケント州に生まれ、慶長5年(1600)渡来、徳川家康公に迎えられ江戸に入り、この地に屋敷を与えられました。

 

 

造船、砲術、地理。数学等に業績を上げ、ついで家康・秀忠の外交、特に通商の顧問となり、日英貿易等に貢献し、元和6年(1620)4月24日平戸に没しました。

日本名三浦按針は、相模国三浦逸見に領地を有し、航海長であったことに由来しこの地も昭和初年まで「按針町」と呼ばれていました。

 

 

三浦按針屋敷跡」から少し歩くと、東京都の紋章を抱えた獅子がお出迎え。

 

 

そうです、ここは、日本橋

 

 

上空に首都高が架かっているのが淋しいですが、橋の中央、センターラインには、「日本国道路元標」が設置されていて、日本の道路の基準になっているんですよね。

 

 

日本橋道路元標は、以前もレポしていますので、そちらも併せてご覧下さい。

 

 

日本橋のレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12483452680.html

 

 

日本橋から中央通りを南下し、八重洲通りを左折すると、今度は「久安橋」が見えて来ます。

 

 

久安橋」は、下を首都高が走っていますが、元は楓川という川だったんですよね。「久安橋」の南側は広場のようになっていて、「楓川久安橋公園」と言うそうです。

 

 

久安橋」には、由緒が刻まれた石碑があって…。この橋は、江戸時代に松平越中守の屋敷前に架けられ「越中橋」と呼ばれていましたが、江戸幕府の名残である「越中」の名が取られ「久安橋」と改称されました。

 

 

久安」の名は、昔この付近に御坊主久安の拝領地があったことに因んで付けられたとされています。

現在の橋は、関東大震災の復興事業により、八重洲通りの造成とともに、この位置に架け替えられたもので、昭和39年(1964)に、楓川が埋め立てられ、高速道路が開通したことで、この橋の周辺の景観は架設当時とは大きく変わり、橋の象徴である親柱が取り外されたこと等から、利用者にとっても「橋」としての印象がうすい存在となっていました。

 

 

久安橋」を八丁堀方面から東京駅方面を眺めて…。

 

 

久安橋」から八重洲通りを進み、新大橋通りを右折。八丁堀駅前交差点を渡ると、樹木が生い茂った公園が見えて来ます。

 

 

ふと、足元を見ると「なかのはし」とありますが…。ここは橋なの???

 

 

道路側を見ると…。橋のようには見えないですけど…?

 

 

大きなモニュメントがあって…。し、しかし、これは一体、何を表しているのでしょうか…(^^;

 

 

やっぱり公園になっていました。「中央区立桜川公園」。

 

 

公園の中に入ると、由緒書き「八丁堀(桜川)跡」がありました。江戸時代初期、京橋川の下流から隅田川へと流れ込む通船の為の水路が開削され、この掘割を「八丁堀」と称していました。

 

 

八丁堀の開削年や名商の由来には諸説ありますが、「京橋区史」には、南八丁堀一丁目と本八丁堀一丁目の間より東流し、桜橋中ノ橋稲荷橋を過ぎ亀島川に会いして海に入る。慶長17年(1612)に漕運の利を謀りこれを鑿つ、当時海口より凡そ八丁(約870m)なる以ってこの名あり、と書かれています。

 

通船堀としての八丁堀は、明治になって「桜川」と改称され、関東大震災後の復興事業を経て、新桜橋桜橋中ノ橋八丁堀橋稲荷橋が架けられました。

 

昭和35年から昭和41年頃には、中ノ橋から稲荷橋までを残して、桜川の上流が埋め立てられ、その後、完全に埋め立てられました…。

埋立地の一部は、桜川公園として整備され、この辺りに掘割があったことを偲ばせています。

 

 

由緒書きには、橋の位置関係を示す地図も掲示されていました。

 

 

八丁堀って、本当に掘割があったんですね…。

 

 

桜川公園には、お花が咲いていて、キレイでした♪

 

 

中の橋を渡ると、「入一地蔵菩薩」という幟がある祠を発見。

 

 

祠に近付いて…。お地蔵様が3体、いらっしゃいました。

 

 

祠の横には「むしば祈祷石」という石が安置されていて…。虫歯に御利益があるんでしょうか…?だとしたら、お参りに通わないと!(笑)

 

 

小さな石灯籠もあって…。

 

 

八丁堀の名残を求めて、桜川公園を東に進むと、東京都中央区の施設「ブーケ21」があって、八丁堀の上を辿ることはできず…(涙)

 

 

歩いて来た桜川公園方面を眺めて…。右手の建物は、中央区立桜川保育園になります。

 

 

三浦按針屋敷跡」を見学し、日本橋久安橋中ノ橋と渡り、「入一地蔵菩薩」をお参りした後は、八丁堀(桜川)に沿って歩き「稲荷橋」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

三浦按針屋敷跡

東京都中央区日本橋室町1-10-9付近

http://www.syougai.metro.tokyo.jp/bunkazai/week/chuo/chuo08.html(東京都教育委員会HP)

 

 

入一地蔵菩薩

東京都中央区入船1-1-26付近

 

 

 

にほんブログ村 福岡(市)・博多情報

https://localkyushu.blogmura.com/fukuoka_town/ranking.html?p_cid=10197823

↑ランキング参加中!クリックして戴けますと、嬉しいです!

 

 

人気ブログランキング

https://blog.with2.net/in.php?819555

↑ランキング参加中!クリックして戴けますと、嬉しいです!