知覧武家屋敷庭園(その10)西郷恵一郎氏庭園・御仮屋跡 ~鹿児島県南九州市の歴史的建造物・庭園・ | 九州下町おやじの珍道中

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20188月16日の鹿児島知覧町散策レポの続き。

 

知覧武家屋敷庭園」の続き。

 

 

知覧武家屋敷庭園(その9)平山克己氏庭園のレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12481757780.html

 

 

平山克己氏庭園」から知覧武家屋敷通りを更に進むと、右手に公開庭園が見えて来ます。

 

 

こちらは「西郷恵一郎氏庭園」。文化文政年間(1804~1829)の作庭と伝えられ、敷地の東南で枯滝を組み、西側に飛び石を拝しています。

 

 

屋敷に入る為、門をくぐると石組の壁にぶつかりますが、このように折れ曲がった入口は、城郭の枡形虎口に由来すると言われています。

 

 

門を入ると、由緒書きの通り、石積みの壁・塀がありますので、鍵形に曲がって、庭園に向かいます。

 

 

おっ!?西郷どんの顔出しパネルが!しかし、顔を出す部分が小さ過ぎる~(笑)

 

 

西郷氏庭園」と刻まれた石もあって…。西郷隆盛と関係ある御宅なのでしょうか…気になります(^^;

 

 

庭園に進んで…。おお~美しい!

 

 

小さな石灯籠もあって…。

 

 

奥の枯れ滝に近付いて…。風情がありますね~♪

 

 

母屋。

 

 

母屋には、「知覧麓と藩士の構成」という説明書きがありました。

 

 

江戸時代、薩摩藩鹿児島城鶴丸城)を中心に藩内を113の外城と言われる区画に分けて統治しました。

知覧もこの外城の一つに当たりますが、地頭が治める地頭所と私領主が治める私領地とがあり、知覧知覧島津氏が治める私領地でした。

各外城には、武士が居住すると呼ばれる武家集落が形成され、知覧ではこの周辺一帯がそれに当たります。

知覧島津氏は、寛永年間(1642~1643)に鹿児島城下に居住することになり、知覧の政治は、御仮屋と呼ばれる役所において、領主の家臣たちによる合議の上で行われました。家臣たちは、御役人横目組頭の三役の他、多くの役職に就いていました。郡見廻、庄屋、書役、浦役、部当、牧司、櫨・楮見廻、普請見廻、衆中触役、相談役、行司…。いろんな役職があったんですね。

 

 

知覧と知覧島津氏(佐多氏)」という説明書きも…。

 

 

江戸時代を通じて知覧を治めた佐多氏は、島津氏4代島津忠宗の三男島津忠光に始まります。当初、大隅国の佐多を拝領したことから、佐多氏を名乗りました。

佐多忠光は、文和2年(1353)足利尊氏から知覧を与えられますが、実際に知覧に居を構えるのは、6代佐多忠山の頃と言われています。

11代佐多久慶の天正17・18年(1589・1590)に一族である佐多久福の家来が海賊事件を起こし、川辺の宮村(現南九州市川辺町宮)に転封となり、その間、知覧島津氏の直轄領や種子島氏の領地となりますが、12代佐多忠充が地頭として復帰し、以後、幕末まで知覧を治めることとなりました。

19代島津光久の五男16代島津久逵は、知覧を一所領(私領地)として与えられ、島津姓を名乗ることを許されています。

22代島津継豊の四男島津久峰は、家老等の藩の要職を歴任し、現在に残る街並を整備したと伝えられています。

 

建久8年(1197)薩摩国図田帳に、知覧院の記述があるんですね。

 

 

西郷恵一郎氏庭園」の見学を終えて、更に進んで…。こちらも非公開の御宅ですが、門が立派だな~

 

 

知覧麓のマップがあって…。

 

 

更に進むと、公園のようなスペースがあるんですよね。

 

 

御仮屋跡」「知覧麓の3つの特徴」「知覧麓に伝わる門松(正月飾り)」という由緒書きがあって…。

 

 

知覧麓の3つの特徴」とは、

①麓の武家屋敷群に影響を与えた知覧城

②麓の武士のくらし

③海上の道を通じて琉球・中国文化が流入。

 

知覧麓に伝わる門松(正月飾り)」は、この地域では、正月の節目によって変化するんですね。

①大正月門飾り(1月6日夕方まで)

②七日正月門飾り(1月13日夕方まで)

③小正月門飾り(1月20日夕方まで)

 

 

御仮屋跡」この地一帯は、江戸時代中期に知覧郷の行政庁であった「御仮屋」が置かれた場所で、立派な門構えで、屋敷の周囲には石の塀をなし、家の造りは茅葺きの長屋であったと伝えられています

 

 

現在に残る知覧郷の街並は、この御仮屋の地を中心に地割が行われたと伝えられ、主要な街路は、周辺の山や小高い丘の頂を目標に真っすぐに造られていることから、山々を眺望でき、石垣と生垣と合わせて美しい景観を形成しています。

明治時代の知覧学館(知覧小学校の前身)を経て、裁判所・検察庁。役場などが置かれ、現在に至っています。

 

 

由緒書きには、「御仮屋跡」に建てられた知覧学館と永久橋の写真、旧裁判所の門と建物の写真も掲示されていました。

 

 

御仮屋」があった場所の一角は、公園になっているんですね。

 

 

薩摩の小京都 知覧の武家屋敷庭園案内図」公開されている7つの庭園は、すべて見学できました♪

 

 

知覧武家屋敷庭園」の説明書き。

 

 

旧領主御仮屋跡」と刻まれた石碑もありましたよ。昭和15年の銘があります。

 

 

御仮屋跡」の西側・道路を挟んだ向かいには、大きな樹木があって…。

 

 

この大木は、イチョウなのですね。江戸時代に、知覧領主の家臣らが、京都から持ち帰ったものになるんですね。当初は夫婦木でしたが、溝を挟んでそびえていた雄木は、大正3年9月に大火で枯れ、この雌木だけとなりました。

 

 

知覧領主が奉納した「豊玉姫神社」の夫婦銀杏は、天にそびえて森厳の気をそそり、旧役場庁舎の巨木は町民に親しまれていました。

役場西隣りのイチョウは樹齢350年を数え、このイチョウもその頃のもので、根周りは約7m。

明治100年(昭和43年)を記念し、知覧町はイチョウを町木に定めました。

 

 

銀杏の大木の奥には、麓川が流れていて…。

 

 

大木のすぐ近くには、橋が架かっていました。

 

 

鹿児島県南九州市・知覧にある「知覧武家屋敷庭園」。

やっと訪問することができました♪

建物の内部は見学することができませんが、立派で美しい庭園が7つも見学することができるのは、嬉しいな~♪

路地も石垣と生垣とで、風情があって、いいな~(^^)

 

 

知覧武家屋敷庭園」を見学した後は、最後の写真の橋を渡って、「島津墓地(西福寺跡)」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

知覧武家屋敷庭園

鹿児島県南九州市知覧町郡13731-1

http://chiran-bukeyashiki.com/

 

 

 

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