2015年9月下旬の萩・三田尻(防府)歴史散策の続き。
「楫取素彦 美和子の終焉の地」を見学した後は、三田尻・防府散策を終え、宿泊していたホテルに、レンタサイクルを返却しに帰りました。
楫取素彦 美和子の終焉の地のレポ。
https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42079616.html
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12381599206.html
「楫取素彦 美和子の終焉の地」から、「萩往還」を北に向かって進んで行くと、右手に鳥居を発見。
こちらは「天御中主神社(車塚妙見社)」。推古天皇24年(625)の創建と伝えられ、毛利元就公も篤く崇敬され、永禄4年(1561)の大祭に神社料を奉献するとの書状もある由緒ある神社です。
御祭神は、天御中主大神(アメノミナカヌシノオオカミ)(宇宙最高の元始神)、大国主命(オオクニヌシノミコト)、宇迦能魂大神(ウガノミタマノオオカミ)、猿田彦命(サルタヒコノミコト)。
尚、境内の小山は前方後円墳で、その中に、与三郎稲荷神社がお祀りされているのか~これは興味深い!
「車塚古墳」の由緒書きもありました。古墳時代後期の前方後円墳で、6世紀頃に造られました。この古墳は、神社社殿建設時の造成で後円部からクビレ部分が大きく削平され、外周部分も一部削られています。
築造当初は、長さ約60m、高さ約6mの規模を持っていたと考えられ、後円部と前方部のそれぞれに横穴式石室があり、佐波地域では、現存する最大の前方後円墳になるそうです。
ここでも、神社と古墳が結び付きましたよ!
鳥居をくぐり、境内を進み、社殿。
拝殿に近付いて…。
左側に回り、本殿を…。
「天御中主神社」の社殿の横には、おお~小山がありますね~。
「車塚古墳」の由緒書き。瓢塚(ひさごづか)・二子山とも称し、国津姫命(クニツヒメノミコト)または神夏磯姫命(カンナシヒメノミコト)、海の神様市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)の墓と言われているんですね。
小山には、石組が!横穴式石室がキレイに見えていますね!この石室は、前方部の石室になるようです。
「車塚古墳」を一回りしてみましょう。
おお~まさに、古墳!
一回りすると、先程見た「天御中主神社」の本殿が見えて来ます。
更に境内を進むと、朱の鳥居がたくさん並んでいて…。
朱の鳥居をくぐります。
こちらは、由緒書きにあった「与三郎稲荷神社」のようです。社の後ろには石積みが見られますが…。どうやら、後円部の石室に当稲荷神社の社は造られたようですよ。
社に近付いて…。
社には、折り紙で作られたキレイな鞠がたくさん置かれていました!
境内には、土俵もあって…。
力石もありました!ここ「車塚妙見神社」は昔より相撲が盛んで、明治になる前から力自慢の若衆組が集まり、相撲と力石を方まで上げるのを競い、体力向上に努めていたんですね(^^)
「天御中主神社」にお参りし、「車塚古墳」を見学した後は、三田尻・防府散策を終え、宿泊していたホテルに、レンタサイクルを返却しに帰りましたので、このシリーズも、これにて終了です。
こちらもまた、長期間にわたるレポになってしましたが、お付き合い頂き、ありがとうございました!
天御中主神社(車塚妙見神社)(与三郎稲荷神社)
車塚古墳
山口県防府市車塚町5
http://buti-hofu.com/12082/(防府市観光協会HP)
http://www.city.hofu.yamaguchi.jp/webhis/3kohun/03-05/3-5.html(防府市教育委員会HP)
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