2015年9月下旬の萩・三田尻(防府)歴史散策の続き。
「野村望東尼終焉の宅」を見学した後は、JR防府駅の方に向かいました。
https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42050839.html
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12372378200.html
「野村望東尼終焉の宅」から東に進むと通りに突き当たりので、そこを左折。そのまま進みます。
すると、何やら、右手に石碑を発見。
その石碑に近付くと…。おお~!この通りは「萩往還」になるんですね!それに「男爵楫取素彦 美和子の終焉の地」と刻まれていますが…。
石碑の近くに由緒書きがありました。「岡村町の男爵邸」
楫取男爵邸は敷地500坪の大邸宅で、迫戸川から三田尻港に流れる小川に架かる御影石の石橋を渡ると大きな門があり、高さ六尺以上の土塁が家を囲んでいました。
玄関に至る広い前庭の左側には築山のある大きな池があり、庭には椎の大木が数本鬱蒼と茂っていて、戦前には福島人絹の工場長、戦後は県立中央病院の先生が在住していました。
昭和10年代、近所の子どもにとっては格好の遊び場で、門内にも自由に出入りできたそうです。
流石は男爵家。大邸宅だったのですね!
由緒書きの横には、楫取男爵邸を描いたと思われる絵画も掲示されていました。
この地で、楫取素彦も楫取美和子も亡くなったのか…と思うと、とても感慨深いものがありました…。楫取邸が現存していたら、尚良かったのですが…。
「楫取素彦 美和子の終焉の地」を見学した後は、三田尻・防府散策を終え、宿泊していたホテルに、レンタサイクルを返却しに帰りました。
その様子は、また後日。
楫取素彦 美和子の終焉の地
山口県防府市三田尻1-1-42付近
下町おやじのYahoo!ブログ
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