高麗小路・野口寧斎顕彰碑 ~長崎県諫早市の街並・史跡・石碑 | 九州下町おやじの珍道中

九州下町おやじの珍道中

下町おやじが、愉快に美味しく楽しく過ごす九州。
よかとこやね~九州は♪大好きバイ(^^)

2016年11月26日の諫早散策レポの続き。
 
旧長崎刑務所正門」を見学した後は、JR諫早駅方面に戻りながら、諫早散策を続けました。
 
 
旧長崎刑務所正門のレポ
 
 
旧長崎刑務所正門」から北に進み、島原鉄道の線路を越えると、小さな水路が見えて来ます。
イメージ 1

 
この水路沿いには、エビス様がいらっしゃって…。結構古そうですね。
イメージ 2

 
恵比寿様の脇の地面には、由緒書きが!「高麗小路」といい、江戸時代より前から「こうらいしゅうじ」と呼ばれていたのですね!タイル敷きの由緒書きって、なかなか面白い!
イメージ 3

 
水面に下りて行く階段もあって…。
イメージ 4

 
澄んだキレイな水でした♪
イメージ 5

 
折角なので、「高麗小路」を歩いてみました。情緒があって、いい雰囲気(^^)
イメージ 6

 
路地はやっぱりいいもんですね!
イメージ 7

 
島原鉄道本諫早駅の前を通って…。
イメージ 8

 
以前、立ち寄ったことがあったので、今回は時間の関係もあり、素通り()
 
以前の本諫早駅のレポ。ブログを始めたばかりの記事で、読み返すと何だか恥ずかしいような…()
 
 
本諫早駅を通り過ぎると、右手に図書館があるんですが、その一角に「野口寧齋顕彰碑」があります。「日本を代表する漢詩人」「諫早文庫の創設者」とも刻まれていますね。
イメージ 9

 
野口寧斎の経歴と業績」という由緒書きがありした。
イメージ 10
 
===============================
野口 寧斎(のぐち ねいさい、慶応3325日(1867429日) - 明治38年(1905年)512日)は、明治時代の漢詩人。長崎県諫早の人。
(中略)
経歴
明治初期の漢詩人であり官吏(内閣少書記)であった野口松陽と妻・栄子の長子。名は弌(いち)、通称は一太郎。別号は唐宋皆師閣主人、嘯楼(いずれも漢詩制作時に用いる)、謫天情仙(小説批評時に用いる)、鶯金公子、後備詞官(いずれも狂詩制作時に用いる)など多数。
明治4(1871)年父に伴われて上京。父没後,哲学館に入り,かたわら漢詩を森春濤・森槐南父子に学んだ。
漢詩以外にも、小説批評や狂詩、紀行文など多方面で活躍した。小説時評は硯友社との交流の中から執筆され、とくに『舞姫』についての批評を記し、森鴎外自身によって好意的に言及された。(後略)(ウィキペディア「野口寧斎」)
===============================

 
野口寧斎。存じませんでした…(^^;
諫早文庫」を創設したので、図書館の前に顕彰碑があるのですね。
 
 
高麗小路」を通り抜け、「野口寧斎顕彰碑」を見学した後もまた、諫早散策を続けました。
その様子は、また後日。
 
 
 
高麗小路
長崎県諫早市栄町6-8
 
 
野口寧斎顕彰碑
長崎県諫早市東小路町6-6-30(諫早市諫早図書館前)
 
 
 
にほんブログ村 福岡(市)・博多情報
 
↑ランキング参加中!クリックして戴けますと、嬉しいです!
 
 
人気ブログランキング
↑ランキング参加中!クリックして戴けますと、嬉しいです!
 
 
下町おやじのアメーバブログ