先日の東京下町散策の続き。
その1 「深川不動堂」の様子は「こちら」。 その2 「こうかいぼう」の様子は「こちら」。
その3 「富岡八幡宮」の様子は「こちら」。 その4 「富岡八幡宮」と「横綱力士碑」の様子は「こちら」。
その5 「紫陽花」の様子は「こちら」。 その6 「龍眼寺」の様子は「こちら」。
その7 「亀戸天神社」の様子は「こちら」。 その8 「亀戸天神社」と「船橋屋」の様子は「こちら」。
その9 「錦糸町」の様子は「こちら」。
その10 「永倉稲荷神社」と「野見宿祢神社」の様子は「こちら」。
その11 「北斎通り」と「江戸東京博物館」の様子は「こちら」。
その12 「旧安田庭園」と「両国公会堂」の様子は「こちら」。
その3 「富岡八幡宮」の様子は「こちら」。 その4 「富岡八幡宮」と「横綱力士碑」の様子は「こちら」。
その5 「紫陽花」の様子は「こちら」。 その6 「龍眼寺」の様子は「こちら」。
その7 「亀戸天神社」の様子は「こちら」。 その8 「亀戸天神社」と「船橋屋」の様子は「こちら」。
その9 「錦糸町」の様子は「こちら」。
その10 「永倉稲荷神社」と「野見宿祢神社」の様子は「こちら」。
その11 「北斎通り」と「江戸東京博物館」の様子は「こちら」。
その12 「旧安田庭園」と「両国公会堂」の様子は「こちら」。
「旧安田庭園」の後は、すぐ隣の、忘れてはならない場所に向かいました。
忘れてはならない場所。それは「横網町公園」。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/f7/6e/j/o0640048014473243734.jpg?caw=800)
もう一つの名は「東京都慰霊堂」。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/d5/06/j/o0480064014473243745.jpg?caw=800)
ここ、「東京都慰霊堂」は、関東大震災で避難した人々が大勢亡くなった場所。
人々が持ち込んだ家財に飛び火し、大火事になった為に、逃げ込んだ人々が焼け死にました・・・。
悲劇の場所です・・・。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/f7/6e/j/o0640048014473243734.jpg?caw=800)
もう一つの名は「東京都慰霊堂」。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/d5/06/j/o0480064014473243745.jpg?caw=800)
ここ、「東京都慰霊堂」は、関東大震災で避難した人々が大勢亡くなった場所。
人々が持ち込んだ家財に飛び火し、大火事になった為に、逃げ込んだ人々が焼け死にました・・・。
悲劇の場所です・・・。
由来記。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/a0/47/j/o0480064014473243748.jpg?caw=800)
合掌・・・。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/a0/47/j/o0480064014473243748.jpg?caw=800)
震災記念堂 東京都慰霊堂 由来記 大正十二年九月一日、突如として関東に起こった震災は、東京市の大半を焦土と化し、五万八千余人の市民は、業火の犠牲となった。 このうち最も惨禍をきわめたのは、当時横網町公園として工事中の陸軍被服廠跡であった。世論は、再びかかる惨禍のないことを祈念し、慰霊記念堂を建設することになり、官民協力して、広く浄財を募り、伊藤忠太氏等の設計監督のもとに昭和五年九月この堂を竣工し、東京震災記念事業協会より東京市に一切を寄付された。 堂は新時代の構想を加味した純日本風建築の慰霊納骨堂であると共に、広く非常時に対応する警告記念として、また公共慰霊の道場として設計された。三重塔は高さ百三十五尺(約四十一メートル)、基部は納骨堂として五万八千余人の霊を奉祀し約二百坪の講堂は祭式場に充て正面の祭壇には霊碑霊名法等が祭られてある。 以来年々祭典法要を重ね永遠の平和を祈願し「備えよつねに」と相戒めたのであったが、はからずも、昭和十九、二十年、東京は、空前の空襲により連日爆撃を受け数百万の家屋財宝は焼失し、十万をこえる人々は、その犠牲となり大正震災に幾倍する惨状に再び見まわれた。 戦禍の最もはげしかったのは同二十年三月十日であった。江東方面はもとより全都各地にわたって惨害をこうむり約七万七千余人を失った。当時殉難者は公園その他百三十ヶ所に仮埋葬されたが同二十三年より逐次改葬火葬し、この堂の納骨堂を拡張して遺骨を奉安し、同二十六年春、戦災者整葬事業を完了したので、東京都慰霊堂と改め永く諸霊を奉安することになった。 横網公園敷地は約六,〇〇〇坪、慰霊堂の建坪は三七七坪余、境内には東京復興記念館中華民国仏教団寄贈の弔霊鐘等があり、又災害時多くの人々を救った日本風林泉を記念した庭園、及び大火にも耐え甦生したいちょうの木を称えた大並木が特に植えられている。 東京都ここで58,000もの人がここで亡くなり、また東京大空襲でも・・・。墨田区の悲しい歴史です・・・。
合掌・・・。
「東京都慰霊堂」の本堂。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/6c/01/j/o0640048014473243756.jpg?caw=800)
本堂に近づいて・・・。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/1e/ad/j/o0640048014473243771.jpg?caw=800)
本堂の中に入り、お参りすることが出来ます。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/6c/01/j/o0640048014473243756.jpg?caw=800)
本堂に近づいて・・・。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/1e/ad/j/o0640048014473243771.jpg?caw=800)
本堂の中に入り、お参りすることが出来ます。
本堂の中の様子。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/40/27/j/o0640048014473243775.jpg?caw=800)
厳かです・・・。合掌・・・。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/40/27/j/o0640048014473243775.jpg?caw=800)
厳かです・・・。合掌・・・。
由来記はもう一つ掲示されています。内容は前述と同じ。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/51/bc/j/o0640048014473243783.jpg?caw=800)
本堂正面に向かって左側にある「幽冥鐘」。
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/84/e3/j/o0480064014473243788.jpg?caw=800)
「幽冥鐘」の由来。
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/de/70/j/o0480064014473243799.jpg?caw=800)
本堂の全体を。
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/76/7e/j/o0640048014473243808.jpg?caw=800)
三重塔。この塔に下は納骨堂になっています。
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/b3/23/j/o0480064014473243814.jpg?caw=800)
本堂正面に向かって右側にある「東京大空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」。
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/6b/f1/j/o0640048014473243828.jpg?caw=800)
お花が綺麗ですが、東京大空襲で亡くなった大勢の人々の為の平和祈念碑です・・・。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/51/bc/j/o0640048014473243783.jpg?caw=800)
本堂正面に向かって左側にある「幽冥鐘」。
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/84/e3/j/o0480064014473243788.jpg?caw=800)
「幽冥鐘」の由来。
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/de/70/j/o0480064014473243799.jpg?caw=800)
本堂の全体を。
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/76/7e/j/o0640048014473243808.jpg?caw=800)
三重塔。この塔に下は納骨堂になっています。
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/b3/23/j/o0480064014473243814.jpg?caw=800)
本堂正面に向かって右側にある「東京大空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」。
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20190620/00/indyaki12/6b/f1/j/o0640048014473243828.jpg?caw=800)
お花が綺麗ですが、東京大空襲で亡くなった大勢の人々の為の平和祈念碑です・・・。
ここ「東京都慰霊堂」は子供頃から何回も訪れた場所。
訪れる度に、胸が苦しくなります・・・。
今回久々に訪れて、本堂の中に初めて入りました。
中には、関東大震災、東京大空襲の写真も沢山飾られていて、悲しくなりました・・・。
このような悲劇をもう二度と起こしてはいけません!
改めて、胸に刻みました・・・。
訪れる度に、胸が苦しくなります・・・。
今回久々に訪れて、本堂の中に初めて入りました。
中には、関東大震災、東京大空襲の写真も沢山飾られていて、悲しくなりました・・・。
このような悲劇をもう二度と起こしてはいけません!
改めて、胸に刻みました・・・。
「東京都慰霊堂」の敷地内には、「東京都復興記念館」という資料館があります。
中には、震災・空襲の遺品が展示されています・・・。
中には、震災・空襲の遺品が展示されています・・・。
「東京都復興記念館」も見学して来ました。その様子は、その14に続く・・・。
東京都立横網町公園
東京都慰霊堂
墨田区横網2-3-25
東京都慰霊堂
墨田区横網2-3-25