大音寺と、幣振坂と ~長崎市の寺院・坂道 | 九州下町おやじの珍道中

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20192月15日の長崎散策の続き。

 

晧台寺(こうたいじ)」のお参りを終えた後は、「幣振坂」を上って行きました。

 

 

晧台寺・幣振坂のレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12458650789.html

https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42313650.html

 

 

晧台寺」の「幣振坂」を挟んだ向かいには「大音寺」があるんですよね。

幣振坂」から境内に入ると、左手に立派な五輪塔と由緒書きがあります。

 

 

由緒書きに近付いて…。「松平図書頭墓地」。松平康英(1767~1808)は文化4年(1807)81代長崎奉行(高2,000石)となり、「図書頭(ずしょのかみ)」と名乗りました。

 

 

当時、オランダはナポレオン戦争でイギリスと交戦状況にあり、文政5年(1808)8月15日にイギリス軍艦フェートン号が長崎港に不法侵入し、オランダ商館員2名を人質にとり、燃料・水・食料を要求しました。

その時の長崎警備佐嘉(さが)藩は警備が手薄で、四囲の各藩も同様であったので、英艦の要求をすべて入れ、フェートン号は8月17日に出航しました。

松平康英は責任を痛感し、始末を記述した遺書を残して自殺。当時の町民は深く哀悼の意を表し、諏訪神社境内に「康英社図書明神)」をお祀りしました。享年41歳。

 

松平図書頭は、フェートン号事件の際の長崎奉行だったのか…。

 

 

松平図書頭墓地」には、石の門が玉垣があります。

 

 

松平図書頭康英の墓石。

 

 

松平図書頭墓地」にある石灯籠。

 

 

石仏もありました。

 

 

大音寺」の境内を進むと、石塀で囲われた立派な墓石があって…。

 

 

ここの「大音寺」は、以前レポしているので、ここで「幣振坂」に戻ります。

松平図書頭墓地」の記述はないので、今回レポで補完できて、良かった(^^)

大音寺のイチョウ」は、この日も探す気にはなれずでしたが…(^^;

 

 

大音寺幣振坂の以前のレポ

https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/20599369.html

 

 

幣振坂」を更に上って行きます。

 

 

石段の踊り場部分には、「幣振坂」と刻まれた石製ベンチがあって…。

 

 

長崎のお墓は、門塀で囲まれた、立派な墓所がたくさんあるんですよね。

 

 

そして、入口部分の門柱には、その家の名前が刻まれていて、まさに表札になっています。面白い!(^^)

 

 

大音寺」をお参りした後もまた、「幣振坂」を上って行きました。

その様子は、また後日。

 

 

 

大音寺

長崎市鍛冶町5-87

https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/188/(長崎県観光連盟HP)

 

 

 

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