晧台寺と、幣振坂と ~長崎市の寺院・坂 | 九州下町おやじの珍道中

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20192月15日の長崎散策の続き。

 

福壽」で、長崎ちゃんぽんを堪能した後は、寺町に向かい、長崎歴史散策をしました。

 

 

福壽ちゃんぽんのレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12450616042.html

https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42292323.html

 

 

寺町の到着し、まず向かったのは、この坂道!

 

 

この坂道は「幣振坂」。「晧台寺(こうたいじ)」と「大音寺」の間にある坂で、名前の由来は、寛永11年(1634)諏訪神社の一の鳥居に使用する為の石材を麓に下ろした際に、宰領が御幣(紙を切り細長い木に挟んで垂らした親祭用具)を振って、人夫達を鼓舞したことに由来するとも言われています。

 

 

長崎では、この他、延命寺長照寺の間や、東本願寺横の坂も「幣振坂」と呼ばれています。

 

 

ここの「幣振坂」と、東本願寺横の「幣振坂」も、以前レポしているんですよね。

 

 

晧台寺大音寺の間の幣振坂のレポ

https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/20599369.html

 

 

東本願寺横の幣振坂のレポ

https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/40443247.html

 

 

幣振坂」を上ります。坂の脇の石積みが古そうで、いい味わいです♪

 

 

幣振坂」を上ると、左手にお寺が見えて来ます。というか、「幣振坂」の上り口の角に山門はあるんですけどね(^^;

 

 

こちらは「晧臺禅寺」。先程の由緒書きにあった「晧台寺」になります。

 

 

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海雲山 晧臺寺は、今からおよそ400年前、慶長13年(1608)、 肥前国松浦郡山口村(佐世保市相浦町)飯盛山洪徳寺の七世であった亀翁良鶴により創建されました。

当時、長崎は領主をはじめ住民の殆どがキリシタン信者であり、仏法復興のために奮闘した亀翁の苦心は想像に余りあるものでした。 慶長18年(1613)、キリシタン禁教例の発令により全盛を誇ったキリシタンにも次第にかげりが見え始めました。 そこで亀翁は、後任に肥前国上佐嘉春日村(佐賀県佐賀郡大和町)玉林寺住持一庭融頓を迎え、その法席を譲りました。

一庭は、鈴木正三と共にその実弟で天草代官である鈴木重成の招請に応じ島民の教導に努めるなど、 キリシタン転宗教化に一層努力するとともに、長崎に光雲寺・永昌寺・高林寺の三ヵ寺を開創し、晧臺寺の末寺としました。(後略)(晧台寺HPより)

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https://kotaiji.net/publics/index/17/

 

 

脇道である「幣振坂」から境内に入ると、御堂があって…。この御堂は「大仏殿【華厳殿】」。

 

 

御堂前の燈籠。銅製のようです。立派ですね~♪

 

 

お堂に近付いて…。あら?ブルーシートがかけられている!改修工事中なのか…(涙)

 

 

高さ3.4メートルの昆慮舎那仏坐像が安置してあるのですが…。

 

晧臺寺」は、実は以前レポしていておりまして、10年が経過し、久しぶりでしたので、アップしようかと…。

そのレポには、写真がありますので、そちらをご覧下さい。↓

 

 

以前の晧台寺のレポ

https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/20669064.html

 

 

華厳殿」の正面には、「幣振坂」と並行して、参道が続いています。参道を上ってくれば良かったかな?(笑)

 

 

境内を進むと、石祠があって、中には石像が…。扁額部分には「白山」とあります。

 

 

その祠の前には、狛犬・獅子がいらっしゃって…。

 

 

ちゃんと対になっていました。

 

 

更に進むと、立派な門が!「山門【山王門】」です。

 

 

山王門」には、「晧臺禅寺」と書かれた立派な扁額が掲げられています。

 

 

山王門」には、仁王様がいらっしゃって…。

 

 

仁王門になるんですね。

 

 

山王門をくぐると、由緒書きがありました。「晧臺寺の梵鐘」長崎市の有形文化財に指定されているんですね。

 

 

この梵鐘は、開山亀翁良鶴より住持を譲り受けた一庭融(鷲)頓が、寛永19年(1642)唐大通事中山太郎兵衛尉繁長を本願大施主に(前年に病死)、シャム(現在のタイ)貿易を行っていた津田又左衛門尉俊昌の助力を得て、長崎の鋳物師阿山助右衛門国久に鋳造させましたが、音色が弱かったので、元禄15年(1702)8代目住職重関了(亮)道が佐嘉の谷口安左衛門兼清に鋳造させたものが、現在の梵鐘になります。

大施主の特定の姓名がなく、広く寄付を募って製作したものと思われます。

佐賀の鋳物師の造った梵鐘は、長崎ではこれだけであり、延宝5年(1677)に寺内で鋳造され現存している大仏も佐賀の鋳物師の作と言われています。

 

 

その梵鐘がある鐘楼。梵鐘は、良く見えませんでした(^^;

 

 

山王門正面には、「本堂【万徳殿】」があって…。寛文3年(1663)に建てられたもので、何度か改修されながら、現在に至っていると、晧台寺HPにありました。

 

 

境内には、幼稚園もあるんですよね。この日は、イベントがあったようで、チビちゃんたちが遊んでいましたよ(^^)

 

 

勿論、遊具もありますよ♪

 

 

晧台禅寺」の参拝を終えて、「幣振坂」に戻り、上って行きますが、大仏殿の裏山は、墓地になっているんですよね。

 

 

晧台寺」のお参りを終えた後は、「幣振坂」を上って行きました。

その様子は、また後日。

 

 

 

晧臺寺

長崎市寺町1-1

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