長谷川平蔵の旧邸 ~鬼平犯科帳ゆかりの地 ~東京都墨田区の史跡 | 九州下町おやじの珍道中

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2018年1月1日のお江戸・鬼平散策の続き。

 

勝海舟居住の地・旗本岡野氏屋敷跡」「五柱稲荷神社・勝海舟揺籃の地」「浅香山部屋」と回った後もまた、お江戸・鬼平散策を続けました。

 

 

勝海舟居住の地・旗本岡野氏屋敷跡・五柱稲荷神社・勝海舟揺籃の地・浅香山部屋のレポ

https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42131579.html

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12397857835.html

 

 

五柱稲荷神社」から更に南に進むと、右手にローソンが見えて来るんですが、その建物の前に、案内板があるんですよね。

 

 

その案内板に近付いて…。「鬼平情景 長谷川平蔵の旧邸」。鬼平犯科帳ゆかりの地なんですね!

 

 

付け火が元の明和9年(1772)の目黒行人坂の大火は、明暦の大火に次ぐものでしたが、その下手人を捕らえたのが、長谷川平蔵宣以(のぶため)の実父・長谷川平蔵宣雄です。

この手柄で、同年秋に京都町奉行に出世しましたが、翌年の安永2年(1773)に客死していまい、家督を継いだ平蔵宣以は天明7年(1787)、42歳の時に火付盗賊改方の長官に就任。

京都へ家族で移るまで住んでいたのが、入江町の屋敷で、義母に「妾腹の子」といじめられ、その反発で屋敷を飛び出し、本所・深川を根拠に「入江町の銕(てつ)」と呼ばれ、後に密偵となる相模の彦十などを引き連れ、放蕩無頼の青春を送っていました。

 

 

この案内板には、昔の絵図も掲載されていて…。確かに「長谷川」とありますね(^^)

 

 

この地に住んで、本所・深川にて、暴れ回っていたのか~♪

 

 

長谷川平蔵の旧邸碑」を見学した後もまた、お江戸・鬼平散策を続けました。

その様子は、また後日。

 

 

 

長谷川平蔵の旧邸碑

東京都墨田区緑4-12-7

 

 

 

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https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42150207.html