勝海舟居住の地と、五柱稲荷神社と、浅香山部屋と ~東京都墨田区の史跡・神社・街並 | 九州下町おやじの珍道中

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2018年1月1日のお江戸・鬼平散策の続き。

 

法恩寺橋」を渡った後もまた、お江戸・鬼平散策を続けました。

 

 

法恩寺橋のレポ

https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42131532.html

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12397841462.html

 

 

法恩寺橋」を渡って、一つ目の信号・錦糸中学校入口交差点を左折し、南の方に暫く進み、JR総武本線の高架をくぐると、右手に史跡案内板が見えて来ます。

 

こちらは「勝海舟居住の地 ―旗本岡野氏屋敷跡―」。

 

 

勝海舟(麟太郎)は、文政6年(1823)両国にあった父・勝惟寅(これとら)の実家・男谷(おたに)氏の屋敷(現区立両国公園)で誕生しました。

その後、父母とともに本所の旗本屋敷を転々としましたが、天保2年(1831)頃ここにあった岡野氏の屋敷に落ち着き、十代後半までの多感な時期を過ごしたと言われています。

勝麟太郎が世話になった岡野氏後北条氏の旧臣・板部岡江雪斎(いたべおかこうせつさい)を祖とする旗本で、文政9年の屋敷替えを経て、翌10年に当地に移住していましたが、家の経営費を捻出する為の屋敷替えだったようで、旧知行所に伝わる資料によれば、旧居を担保に数百両の金を用立てて、代わりに旧居の半分ほどしかない屋敷に移住したようです。

幕府創業期より続く由緒ある武家とはいえ、岡野氏の家計は大変逼迫していたようです…。

 

 

この「勝海舟居住の地 ―旗本岡野氏屋敷跡―」がある場所は、「すみだふれいセンター」の前になります。

 

 

更に真っすぐ南に進み、国道14号線を横断すると、右手に神社が見えて来ます。

 

 

こちらは「五柱稲荷神社」。

 

 

境内には、「史跡 勝海舟揺籃之地」という史跡案内碑があって…。勝海舟はこの地で、幼少期を過ごしたということでしょうか…。

 

 

五柱稲荷神社」の向かいにはビルがあるんですが…。

 

 

このビルは、大相撲の「浅香山部屋」。親方は、元大関・魁皇関。

 

 

勝海舟居住の地・旗本岡野氏屋敷跡」「五柱稲荷神社・勝海舟揺籃の地」「浅香山部屋」と回った後もまた、お江戸・鬼平散策を続けました。

その様子は、また後日。

 

 

 

勝海舟居住の地・旗本岡野氏屋敷跡

東京都墨田区緑4-35-6

 

 

五柱稲荷神社・勝海舟揺籃の地

東京都墨田区緑4-11-6

 

 

浅香山部屋

東京都墨田区緑4-21-1

 

 

 

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https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42131579.html