2017年7月22日の旧東海道歴史散策の続き。
「鮫洲八幡神社」の続き。
鮫洲八幡神社(その1)のレポ
https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42145301.html
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12402126017.html
「漁呉玉神社」の隣にも、鳥居があります。
こちらは「厳島神社」というようです。水運・漁業の神様、ということになりますね。だから、池のすぐ傍にあるのでしょうね。
「厳島神社」の社に近付いて…。
鮫洲周辺の案内図がありました。
その横には「鮫洲の地名のおこり」があって…。
「サミズ(砂水)」砂の中から清水が出て来るから、という説や…。
「海晏寺伝(かいあんじでん)」に「建長3年品川の海上に大鮫が死んで浮き出たのを凝視が腹を裂いた処、腹中から木造の観音像が出現し、人々に不思議な恩を授けた」ということから、門
前を鮫洲と呼んだ説…。
浜辺に鮫があがったことがあるので、鮫洲となった説…。
諸説あり!なんですね(笑)
「八幡神社」の由緒書き。旧御林町の総鎮守。創立はハッキリしませんが、寛文年間(1661~1672)には、既にあったとされています。
境内には、漁師町の鎮守らしく漁業関係者が寄進した灯籠や狛犬があります。
御祭神は、誉田別尊(ほんだわけのみこと)、気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)、伊装諾尊(いざなぎのみこと)、伊装冉尊(いざなみのみこと)。
境内には、出世稲荷神社、厳島神社、漁呉玉(なごたま)神社、の末社も鎮座しています。
「御林浦(おはやしうら)」の由緒書き。江戸時代、品川には品川浦と御林浦の2つの漁師町があり、江戸城御用の鮮魚を納める御菜肴八カ浦の一つとして、発展して来ました。
御林浦は、南品川と北浜川の間(東大井1丁目、2丁目の一部)の漁村を指し、漁獲物の多くは、芝金杉や本芝(港区)の魚問屋で売りさばかれ、海苔の養殖も盛んでした。
海岸の埋め立てが進み、昭和37年(1962)の漁業補償協定の成立で、江戸前漁業の終わりを迎えました…。
池の周りを一回り。池の真ん中の小島の祠をパチリ。奥に「漁呉玉神社」「厳島神社」の社が見えました。
「鮫洲八幡神社」の社殿に向かって右手に向かうと、石の鳥居があって…。
鳥井の扁額には「出世稲荷」とあります。
鳥居をくぐり、出世稲荷神社の社。朱…ではないですね(^^;
社の前のお稲荷さん。
なんとなく、愛嬌のあるような表情で…。
出世稲荷神社の社の中の様子。
境内を更に回ってみると、礎石だけ残っている場所もあって…。かつては社・祠があったのでしょうか…?
社には、近隣の神社、それも稲荷神社ですが、案内板もありました。
「鮫洲八幡神社」をお参りした後もまた、旧東海道を南下して行きました。
その様子は、また後日。
鮫洲八幡神社
東京都品川区東大井1-20-10
下町おやじのYahoo!ブログ
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