2017年8月11日の筑前町・大刀洗町散策レポの続き。
「慶運寺」を参拝した後も、本郷地区の散策を続けました。
慶運寺のレポ
https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42116334.html
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12393066911.html
「慶運寺」の斜向かいには白壁が美しい御宅があるんですよね。
武家屋敷のように立派だな~素晴らしい!
その御宅の前には、史跡案内碑がありました。「史蹟 三原城址」
由緒書き「三原城跡」「三原城」は「本郷城」とも呼ばれ、東西約110m、南北約150mの範囲に外堀・内堀を構え、角矢倉、物見櫓等を設けた平城でした。
三原氏の始祖は三原弾正時勝と伝えられ、鎌倉時代の初期、糸島郡高祖の城主原田種直の子種朝は三原氏を継ぎ、13代当主になりましたが、入城にあたり筑前の筥崎宮の高良新宮を勧請して城の守護神とし、後年、城外に移したのが現在の本郷高良玉垂宮になります。
鎌倉時代には、護良親王の命を受けて九州探題を攻め、多々良浜に足利尊氏の軍勢を迎え撃つなど、宮方に力を尽くしていましたが、後年には武家方となり、大原合戦の時は小弐方に名を連ねています。
天正14年(1586)三原紹心が四王寺山岩屋城で討死にしたこともあって、城としての役目は終わることになりました。
城跡は、ここから南へ約100mの地点になるのか…。
城跡を目指して、と思いましたが、この先は民家で…。これでは見に行けない…(汗)
この御宅の向こうに見える木立・林が「三原城跡」になるようです…。
「三原城跡(本郷城跡)」を見学した後は、更に本郷地区を散策しました。
その様子は、また後日。
三原城跡(本郷城跡)碑
福岡県三井郡大刀洗町本郷4542-1付近
https://www.town.tachiarai.fukuoka.jp/page/page_00687.html(大刀洗町教育委員会HP)
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