海晏寺 ~旧東海道・南品川宿 ~東京都品川区の寺院 | 九州下町おやじの珍道中

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20177月22日の旧東海道歴史散策の続き。

 

贈太政大臣岩倉公御墓参拝道 石碑」「鮫洲正観世音菩薩道場 石碑」を見学し、「幸稲荷神社」をお参りした後は、「海晏寺(かいあんじ)」に向かいました。

 

 

幸稲荷神社・贈太政大臣岩倉公御墓参拝道石碑・鮫洲正観世音菩薩道場石碑のレポ

https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42090835.html

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12385060458.html

 

 

贈太政大臣岩倉公御墓参拝道 石碑」「鮫洲正観世音菩薩道場 石碑」から「幸稲荷神社」の前を通った先に、次の目的地「海晏寺」があるのですが、その先は、第一京浜(国道15号線)が横切っていて、直接渡ることができず…。一旦南側に進み、信号を渡って、「海晏寺」に到着です。

 

 

境内を進むと、正面に本堂があって…。

 

 

本堂に近付いて…。扁額には「海晏禅寺」とあります。

 

 

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海晏寺(かいあんじ)は、東京都品川区南品川五丁目にある曹洞宗の寺院。建長3年(1251年)開山。本尊は聖観音菩薩、山号は補陀落山。

(中略)

歴史

この寺は、鎌倉時代幕府5代執権北条時頼が開基となって宋から渡来した禅僧蘭渓道隆の開山により曹洞宗の寺院として創建されたと伝えられる。本尊の観音像は、品川沖でかかった鮫の腹から出た物と伝えられ、一帯の「鮫洲」という地名の由来ともなっている。

かつては多くの末寺を有したが衰退し、1593年(文禄2年)徳川家康が天叟慶存を招いて再興し、現在の曹洞宗の寺院となった。江戸時代「御殿山の桜」とならび紅葉の名所として知られていた。(後略)(ウィキペディア「海晏寺」)

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E6%99%8F%E5%AF%BA

 

 

へぇ~開山は鎌倉時代なのか~結構古い寺院なんですね。

 

 

本堂の後ろは小高い山になっていて、墓地が続いているようです。

 

 

本堂の横には、大きな庇を持つ東屋のようなものがあります。

 

 

その建屋の中央には「倶会一処(くえいっしょ)」と刻まれた石碑があって…。

 

 

鐘楼。

 

 

由緒書きがありました。「都旧跡 白井鳥酔墓」由緒書きが薄くなって、ちょっと読み辛いですね…。

 

 

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白井 鳥酔(しらい ちょうすい、元禄14年(1701年) - 明和644日(1769428日))は、江戸時代中期の俳人。

来歴

上総国埴生郡地引の旗本知行所の郷代官を務める家に生まれる。本名は喜右衛門信興。享保6年(1721年)、家督を継ぐが、享保11年に弟に家督を譲り、剃髪して江戸に出た。佐久間柳居の門に入り、俳諧に専念する。柳居とともに天明の俳諧復興の魁となった。(後略)(ウィキペディア「白井鳥酔」)

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E4%BA%95%E9%B3%A5%E9%85%94

 

 

その横にも由緒書きがありますが…。こっちは全然読めん!(笑)

よ~く見ると「都旧跡 春秋庵白雄墓」とあります。

 

 

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加舎 白雄(かや しらお、元文3820(1738103) - 寛政3913日(17911010日))は、江戸時代の俳人。諱は吉春・競、通称は五郎吉、別号は昨鳥・春秋庵・白尾坊、露柱庵など多数。父の祖母方の姓をとって「平田忠次郎」と名乗ったこともある。 与謝蕪村、大島蓼太などと共に中興五傑及び天明の六俳客の一人。鴫立庵の庵主。

三宅嘯山の『俳諧古選』や五升庵蝶夢の『蕉門俳諧語録』に先駆した『俳諧寂栞』はいかいさびしおりが、平易な俳論として世に知られている。(後略)(ウィキペディア「加舎白雄」)

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%88%8E%E7%99%BD%E9%9B%84

 

 

当寺院には、岩倉具視、幕末の福井藩主・松平春嶽のお墓もあるのですが、一般公開されていないようで、位置も分からず、お参りは叶いませんでした…残念…(涙)

 

 

境内には、石碑や石仏がたくさん奉納されていました。こちらは「出世弁財天」と刻まれています。

 

 

こちらにも…。

 

 

石像もいくつもありますね。

 

 

こちらには、石碑がいくつもあって…。

 

 

おお!砲弾も!

 

 

ここにも砲弾が!

 

 

海晏寺」のお参りを終えて、境内から外に出ると、正面に「贈太政大臣岩倉公御墓参拝道 石碑」「鮫洲正観世音菩薩道場 石碑」「幸稲荷神社」へと続く道が、国道越しに見えました…。参道なのに、真っすぐに行けないのは、残念だな…(^^;

 

 

海晏寺(かいあんじ)」をお参りした後は、旧東海道に戻り、再び南下して行きました。

その様子は、また後日。

 

 

 

海晏寺

東京都品川区南品川5-16-22

http://www.ndl.go.jp/landmarks/sights/kaianji/(国立国会図書館HP)

 

 

 

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