豫章館(その1)~宮崎県日南市飫肥の歴史的建造物 | 九州下町おやじの珍道中

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2017年6月24日の宮崎・日南出撃レポの続き。

 

旧伊東祐正家住宅」を見学した後は、「飫肥城跡」に向かいました。

 

 

旧伊東祐正家住宅のレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12371887742.html

https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42049269.html

 

 

旧伊東祐正家住宅」から「飫肥城跡」に向かって歩くと、すぐ左側に古そうな門構えの御宅を発見。

こちらは「豫章館(よしょうかん)」。

 

 

位置関係では「旧伊東祐正家住宅」の真正面になります。

 

 

門の脇には、「飫肥城有料施設並びに料金のご案内」という案内板があって…。いろいろ施設があるんですね~。これからの散策も楽しいものになるな、きっと♪

 

 

豫章館」の由緒書き。飫肥藩主伊東祐帰(いとうすけより)が明治2年(1869)に城内から移り住んだ屋敷で、庭の北隅に大きな楠木があったことから「豫章館」と名付けられました。

 

 

この屋敷は、大手門前に位置する飫肥城下では最も格式の高い武家屋敷で、薬医門と屋根付の塀に囲まれ、敷地面積は約6,500㎡!

昭和58年(1983)に、伊東家より日南市に寄付されました。

 

 

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伊東 祐帰(いとう すけより)は、日向飫肥藩の第14代(最後の)藩主。飫肥藩知事。

生涯

13代藩主・伊東祐相の長男。明治2年(1869年)、父が隠居したため家督を継ぎ、まもなく知藩事となる。そして藩の官制改革などを行なっている。明治4年(1871年)の廃藩置県で東京に移住し、後に子爵に列した。明治27年(1894年)425日、東京にて40歳で死去した。(後略)(ウィキペディア「伊東祐帰」)

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E7%A5%90%E5%B8%B0

 

 

門をくぐり、200円の入場券を支払って、中に入ります。施設共通券もあるそうですよ。

 

 

豫章館」の玄関。これは!見事な破風の屋根を持つ玄関ですね!

 

 

玄関に近付いて…。あら?建物内には、入れないのか…(涙)。

 

 

お庭の方に回ってみましょう。

 

 

豫章館を横から…。流石、藩主だった伊東家の御宅だっただけのことはありますね~。

 

 

濡れ縁から、室内を拝見。こちらの建物は、地元名産の飫肥杉を使用して建てられたそうです。

 

 

隣の間も…。

 

 

続き間になっていて、かなりの広さがありますね。

 

 

庭園も広い!

 

 

井戸もあって…。

 

 

庭の一角には石段と木戸があって、こちらかも出入りできたようですね。

 

 

その2」に続く。

 

 

 

豫章館

宮崎県日南市飫肥9-1-1

http://obijyo.com/shisetsu/yoshyoukan/(飫肥城下町保存会HP)

https://www.kankou-nichinan.jp/tourisms/355(日南市観光協会HP)

 

 

 

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