先日2018年4月上旬、東京に赴任して来てすぐ、仕事で南砂町駅方面に出掛けたのですが、その際、歩いていると、神社を発見。
こちらの神社は「富賀岡八幡宮」。「とみがおかはちまんぐう」?あれ?
参道入口の左手には、大きな石碑が2基並んでいて、左側には「砂村新田開拓者 砂村新左衛門顕彰碑」、右側には「石碑の由来」と刻まれています。
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砂村 新左衛門(すなむら しんざえもん、慶長6年(1601年)頃 - 寛文7年12月15日(1668年1月28日))は江戸時代前期の農民、土木技術者。数多くの新田開発を主導したことで知られる。
(中略)
新左衛門は越前国(現・福井県)の砂畑を開拓して新村(現・鯖江市新町)とした福岡新兵衛家の(新村近くの落合の)分家の出と伝わる。若い頃から壮年まで越前国三国湊(現・坂井市)で土木事業に携わる傍ら、新田開拓の技術を習得し、全国各地に赴いた。大坂(摂津国)の上福島(現・大阪市福島区)での新田開拓を経て、関東に進出した。
三国にいる頃から相模国三浦郡(現・横須賀市)の内川入海の開拓を進めていたが、明暦の大火の後、江戸近隣にある葛飾郡の宝六島(現・江東区)において新田開拓(宝六島新畠、後の砂村新田)を行うとともに、平行して三浦新田(後の内川新田)の開発を行い、また同時期に吉田勘兵衛が再着手して推進していた武蔵国久良岐郡(現・横浜市)野毛新田(後の吉田新田)の開発において技術面で協力した。
(後略)(ウィキペディア「砂村新左衛門」)
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%82%E6%9D%91%E6%96%B0%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80
この辺り、南砂や東砂の辺りを開拓して、新田を開発したのですね!
「砂村」が「砂町」になった訳か~。
その横には「元八幡旧跡」とありますが…はて?
「砂村新左衛門顕彰碑」の前には、花壇のようになっていて…。
「砂村新左衛門と越前スイセン」という由緒書きがありました。なるほど。砂村新左衛門の出身地の福井県人会有志が奉納した水仙になるんですね。
「富賀岡八幡宮御由緒」当宮は深川富岡八幡宮の元宮として、また砂村総鎮守として知られり、藤原富成(藤原鎌足の孫)が下総守として下向された際、天平勝宝元年(794)に創建されました。
当宮と深川富岡八幡宮との関係は、この地が「宝六島」と呼ばれていた寛永初期、京より永代島に移り暫く当宮を拠点に活動していた長盛法師が、当宮に奉祭されていた八幡様を深川八幡宮に移し勧進したことによります。
へぇ~ここが「元八幡」になるのか~。鬼平犯科帳にも出て来る場所だったので、どこにあるのか、知りたかったんですよね。見つけることができて、ラッキー♪
参道を進み、鳥居。
鳥居をくぐって、石灯籠。
参道の正面には、社殿。
社殿の手前の狛犬。
拝殿の中の様子。おお~甲冑もあって、なかなか立派ですね!
拝殿に向かって左手には、歌碑・句碑のような石碑があって…。
その近くには、神楽殿でしょうか?
拝殿を横の方から…。
「富賀岡八幡宮」の本殿。
「その2」に続く。
富賀岡八幡宮
東京都江東区南砂7-14-18
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