2017年6月23日の宮崎出撃レポの続き。
「生目古墳群史跡公園」を見学した後は、高速に乗って、「西都原古墳群」に向かいました。
生目古墳群史跡公園(その3)のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12345186287.html
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12352218752.html
「生目古墳群史跡公園」から車で、宮崎西ICから東九州自動車に乗り、西都ICまで向かい、「西都原古墳群」を目指しましたが、その手前に「日向国分寺跡」があるというので、立ち寄ってみました。
ちょっと道に迷いましたが、何とか、「日向国分寺跡」に到着。
敷地の中に入ると、御堂のような建屋があります。
その手前には、大きな石像が!
結構怖い顔をされていますね(^^;
その建屋に近付くと…。扁額には「木喰五智館」とあります。
中に入ると、大きな木像が!
3体だけでなく…。
全部で5体、安置されていました。
由緒書き「木喰上人」。木喰上人は享保3年(1718)甲斐国に生まれ、21歳の時に相模国で仏門に入り、44歳の時に、常陸国の羅漢寺の住職木食観海上人から「木喰戒」を受け修行に励みましたが、安永2年(1773)55歳で、日本廻国の大願を発し、全国行脚に出ました。
天明8年(1788)に「日向国分寺」に到着、地元住民に求められ「日向国分寺」の住職となり、寛政9年(1797)までの9年間、こちらにとどまり、「五智如来坐像」5体を完成させました。
「木喰略年譜」も掲示されていて…。
木喰上人が完成させた「五智如来坐像」の由緒書き。
では、一体ずつ、見て行きましょう。まずは、左側から「宝生如来坐像」。
左から2番目には「薬師如来坐像」。
中央には「大日如来坐像」。
「大日如来坐像」の右側には「阿弥陀如来坐像」。
一番右側が「釈迦如来坐像」。どれも立派で、威厳・神々しさを感じさせる木像ですね!素晴らしい!!
「木喰五智館」を出ると「日向国分寺跡」の由緒書きがあります。ちょっと、読み辛いですね…(^^;
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「日向国分寺」について
建立の時期については定かではありません。なお、『続日本記』の天平勝宝8(756)年12月20日の条に、越後・丹波をはじめ日向など26か国が記載されていることから、国分寺・国分尼寺建立の詔が発せられた741年から756年までの16年間に建立されたと考えられています。(西都市観光協会HPより)
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http://www.saito-kanko.jp/sightseeing/mokujikigochikan
その由緒書きには、発掘調査の写真も掲示されていました。
「日向国分寺跡」の敷地を更に進んで…。
由緒書き「日向国分寺の跡」があって…。歴史ある国分寺も、荘園制度のもと、衰退の方向に辿ることとなりましたが、木喰上人が再興したということなのですね…。
由緒書きの隣にある石灯籠。
その奥には、礎石が残る空間があって…。
こちらに、国分寺の御堂が建っていたのでしょうか…。
大きな樹木もあって…。
由緒書き「日向国分寺イチョウ」。この銀杏が先程の由緒書きにあった通り、木喰上人ゆかりのイチョウなのですね。
最後に「木喰五智館」を今一度…。
「日向国分寺跡・木喰五智館」を見学した後は、「西都原古墳群」に向かいました。
その様子は、また後日。
日向国分寺跡・木喰五智館
宮崎県西都市三宅
http://www.saito-city.jp/kanko_bunka/0305_1703310000000007.html(西都市HP)
http://www.saito-kanko.jp/sightseeing/mokujikigochikan(西都市観光協会HP)
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