2017年6月23日の宮崎出撃レポの続き。
「生目古墳群史跡公園」の続き。
生目古墳群史跡公園(その2)のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12340400854.html
生目古墳群史跡公園(その3)のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12345186287.html
「生目3号墳」。更に進んで…結構長い道のりです…(^^;
やっと後円部が見えて来ましたよ。
後円部に到着。樹木がたくさん生えていて、やっぱり山にしか見えませんでした…(^^;
「生目3号墳」から元に戻り、園内を更に進むと、小石を積んだ場所を発見。
「古代の職人への挑戦」という説明書きがありました。「生目5号墳」は発掘調査の結果を参考に、1,500年前に造られた当時の姿に復元されました。
墳丘表面の葺石は、現在では行わないような独特な並べ方をしていたのですね!
更に進んで…。こちらは「生目9号墳」。
由緒書き「生目9・33号墳」。9号墳と33号墳はそれぞれ別の円墳と考えられていましたが、調査の結果、9号墳を後円部、33号墳を前方部とする一つの前方後円墳の可能性が非常に高くなりました。へぇ~こういうこともあるんですね~。面白い!
神社のように見える「生目13号墳」まで戻って来ました。
更に進んで…。と言いますか、駐車場まで戻る感じになっているのですが…(^^;
例の埴輪のマスコットがまた由緒書きを持っていました(笑)。しかし、可愛らしいな~。
その由緒書きは「全面を石で覆われた14号墳」。14号墳は今から約1,600年前、古墳時代前期の終わり頃に造られた墳長63mの前方後円墳です。斜面だけでなくテラス(墳丘斜面途中の平坦面)や墳頂(古墳の頂上)も石で覆われていました。
古墳の周囲には周溝と呼ばれる溝が巡っていますが、14号墳の前方部の前面には周溝がなかったことが明らかになっています。
14号墳は、22号墳の次の首長と考えられていますが、その規模は2/3程度まで縮小しており、この地域の豪族の勢力が衰退したことを表しています。
それから「生目15号墳」。墳丘が見えませんね…(^^;
こちらの墳丘が「生目15号墳」のようです。
最後に「生目14号墳」。
宮崎市にある「生目古墳群」。
現在は整備されて「生目古墳群史跡公園」となっていて、古墳を間近に見学することができます。
正直申しまして、「生目」の地名は知っていましたが、こんなにも大規模な古墳群があるとは全然知らずに…。今回の出撃で知ることができ、同時に見学もして来ました。
いや~大きくて立派な遺跡なんですね!訪問することができて、良かった(^^)
「生目古墳群史跡公園」を見学した後は、高速に乗って、「西都原古墳群」に向かいました。
その様子は、また後日。
生目古墳群史跡公園
宮崎県宮崎市大字跡江
http://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/culture/facilities/1819.html(宮崎市HP)
生目の杜遊古館(宮崎市埋蔵文化財センター)
宮崎県宮崎市跡江4058−1
http://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/culture/facilities/1324.html(宮崎市HP)
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