2017年7月中旬の博多・祇園駅周辺散策の続き。
「円覚寺」「節信院」「加藤図書之墓」と回り、「若八幡宮」に向かいました。
円覚寺・節信院・加藤図書之墓のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12349275914.html
「節信院」からは、御笠川に沿って、 上流に進みます。国道202号線を越え、更に上流に進み、次の大通り、水道局前交差点を左折すると、次の目的地「若八幡宮」に到着です。
「若八幡宮」の由緒書き。御祭神は、仁徳天皇、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)。俗称「やくはちまん」「厄除八幡」と呼ばれ、人々の信仰を集めています。
鳥居、神門をくぐり、境内に…。
参道は右に折れ、鳥居があります。
奉納された馬の像。
「若八幡宮」の社殿。
社殿の手前には狛犬が…。
なかなか立派です!
拝殿の中の様子。
扁額には、「若八幡宮」と「楊池神社」とあって…。
そうそう、「楊池神社」と言えば、少し前に跡地をレポしましたね。
少彦名命をお祀りする「楊ヶ池神社」を明治42年に「若八幡宮」に合祀したと…。
その合祀先がここ「若八幡宮」になるんですね(^^)
楊ヶ池神社跡のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12342300219.html
社殿に向かって左手に進んで行くと、建物のすぐ脇に鳥居があるんですよね。
鳥居の奥には、社殿があって…。
その社殿と鳥居の位置関係はこんな感じで…。不思議な感じが…(^^;
その社殿の横には、「力石」があります。
「福岡市指定有形民俗文化財 若八幡宮の力石」。「力石」とは、力試しをする石のことですが、その由来は神霊の依代である石を持ち上げることで豊凶・天候・武運等の神意を伺う石占の信仰に遡ると言われています。
この力石は、文政13年(1830)正月、西町上(現博多区店屋町)の世話人に奉納されたもので、当初の奉納先は、西町上の「楊池神社(柳ヶ池神社)」であり、明治42年(1909)福博電気軌道開業の為に「楊池神社」が「若八幡宮」に合祀された際に移されたものと考えられます。
この力石を持ち上げた木村興五郎は、文政8年(1825)大坂難波新地で行われた「江戸力持」興行引き札にも見える江戸の力持ちで、記録によれば木村興五郎の一行は、この後讃岐の金比羅宮に参詣、翌年再び難波新地に立ち寄って「力持」を披露、その後、尾州大須で興行をしました。
木村興五郎の得意技は「鶯の谷渡り」「獅子の追いぶち」と称された曲持ちだったそうです。
「若八幡宮」の社殿の後ろ側にも鳥居があります。こちらもまた、面白い位置関係だこと!
その鳥居には「蝦夷地善光寺」と言う文字が刻まれていて…。
扁額には勿論「若八幡宮」。
文化8年(1811)の銘も…。
延命開運地蔵も安置されていて…。
「若八幡宮」。やっとお参りできました。
「若八幡宮」をお参りした後は、「謝国明の墓」に向かいました。
その様子は、また後日。
若八幡宮
福岡市博多区博多駅前1-29-47
下町おやじのYahoo!ブログ
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