武蔵寺(その1)~福岡県筑紫野市の寺院 | 九州下町おやじの珍道中

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2017年9月上旬の筑紫野市散策の続き。

 

天拝山歴史自然公園」を通り抜けて、「武蔵寺」に向かいました。

 

 

天拝山歴史自然公園のレポ。

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12344090639.html

 

 

天拝山歴史自然公園」の石畳に沿って先に進むと、「武蔵寺(ぶぞうじ)」に到着です。

 

 

由緒書き「武蔵寺跡」。創建が奈良時代に遡ると考えられている古代寺院です。境内から出土した瓦や寛治8年(1094)に武蔵寺の僧頼暹(らいせん)が埋納したことを記した経筒が発見されていること、「今昔物語集」「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」等の古典にその名が登場する等、平安時代後期には隆盛を誇っていたと考えられています。」

 

 

武蔵寺」に伝わる縁起によれば、藤原鎌足の子孫で壬申の乱に功績のあった藤原虎麿(初代大宰帥蘇我日向臣身刺のことだといわれています)が創建したと伝えられ、今も天台宗の古刹「椿花山成就院武蔵寺」として法灯を守り続けています。

 

 

由緒書きには、「武蔵寺と天拝山図(部分)」が掲載されていました。

 

 

由緒書きの隣には、歌碑があって…。

 

 

歌碑の由緒書き。「ふじなみの はなになれつつ みやびとの むかしのいろに そでをそめけり」。七卿落ちで、九州まで逃れて来た東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)の歌なのですね。

 

 

石段脇には、お地蔵様がいらっしゃって…。

 

 

山門。大きくて立派ですね~。

 

 

山門をくぐり、右手には石碑が並んでいて…。

 

 

その横には、鐘楼。

 

 

またお地蔵様が!

 

 

その奥には、大きな石碑があります。

 

 

由緒書き「自然石梵字板碑」。中央に薬師如来を意味する種子(しゅうし)「バイ」が刻まれ、その下に貞和3年(1347)の銘があります。

 

 

板碑は供養や逆修(ぎゃくしゅ)(生前に自分の冥福を祈ること)の為、中世に広く造立されました。

 

 

自然石梵字板碑」の梵字をアップで。

 

 

自然石梵字板碑」の後ろには、建屋があって…。

 

 

由緒書き「藤瀬冠邨の画室 半禅居」。藤瀬冠邨(ふじせかんそん)(明治8年~昭和26年)は郷土の南画画壇を代表する一人で、この画室は大正14年に建てられ、半禅居士と号した冠邨が捜索活動を続けた所です。

 

 

半禅居」の横には、池があって…。

 

 

その2」に続く。

 

 

 

武蔵寺

福岡県筑紫野市武蔵621

 

 

 

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