三雲南小路遺跡・井原鑓溝遺跡推定地 ~福岡県糸島市の遺跡・史跡 | 九州下町おやじの珍道中

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2017年5月6日の糸島散策レポの続き。

 

麦畑を通り抜け「井ノ川橋」を渡り、糸島散策を続けました。

 

 

井ノ川橋と麦畑のレポ。

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12331220903.html

 

 

井ノ川橋」を過ぎて、そのまま東に道なりに進んで行くと、左手に空地があります。中には由緒書きがあるようですね。

 

 

その空地には、何やら丸い形のものが見えるんですよね。

 

 

近付くと、丸く舗装されているスペースがあって…。「1号甕棺」と立札もありますよ。これは!?

 

 

その奥には、インターロッキングで舗装されていますし…。

 

 

ここは遺跡なのですね!

 

 

由緒書きに近付いて…。「三雲南小路遺跡(みくもみなみしょうじいせき)」とあります。

 

三雲南小路遺跡」は、弥生時代中期末(約2,000年前)の伊都国王の墓で、墓の周囲に幅3~4m、深さ0.5~0.7mの溝で、東西32m、南北31mの方形区域を設けた子国内最大級の弥生王墓です。

江戸時代(1822年)に発見された時には、甕棺の上に1.5m程の盛り土があったとされ、墳丘があったと推定されています。

墳墓中央部には2基の長特大の合わせ口甕棺(全長約2.5m)があって、1号甕棺から35面、2号甕棺から22面、合わせて57面の前漢鏡青銅器武器金銅製四葉座飾り金具ガラス製壁(へき)、装身具など豪華な副葬品が出土しました。

 

これはまたスゴい遺跡だこと!

 

 

由緒書きには、遺跡の大きさを表す地図も掲示されていて…。

 

 

出土品の写真もありました。

 

 

ここに、大きな弥生時代の王様、伊都国王の墳丘墓があった訳ですね!

 

 

 

三雲南小路遺跡」の前を通り過ぎると、大きな道路に出ますので、そこを右折。少し進むと、右手に、由緒書きを発見。

 

 

由緒書きの奥には、田畑が続いていますが…。

 

 

こちらは「井原鑓溝遺跡推定地」。

 

井原鑓溝遺跡(いはらやりみぞいせき)」は江戸時代の天明年間(1781~1788)に甕棺が発見された遺跡で、甕棺は当時の三雲村との境界に近い井原村の鑓溝で発見されたとされていて、その経緯は福岡藩士の青柳種信が書き記した「柳園古器略考(りゅうえんこきりゃくこう)」に伝聞記として記されています。

 

日照り続きのある日のこと、井原村の百姓・次市が田に水を引き入れようと水路の土手をつついた処、その一角が崩れて大きな壺が顔を出し、中から赤色の顔料(水銀朱?)とともに20面を超える銅鏡や鎧のような鉄板が出土した…。

 

青柳種信がこの記録を書いた当時は、発見から40年が経過していましたが、多数の銅鏡の破片や巴形銅器の一部も残っていました。

甕棺の出土地点や出土した宝器の所在は明らかではありませんが、多数の銅鏡を始めとする豪華な副葬品が出土したことから、被葬者は弥生時代後期の伊都国歴代王の一人と考えられています。

今も尚、発掘調査は続けられているのですね。

 

三雲南小路遺跡」のすぐ傍に「井原鑓溝遺跡推定地」がありますので、伊都国王の墳墓がこの辺りにあったことは、間違いないでしょうね(^^)

 

 

青柳種信の肖像画が由緒書きには掲示されていて…。

 

 

出土品の模写絵も掲示されていました。

 

 

伊都国王の墳墓である「三雲南小路遺跡」「井原鑓溝遺跡推定地」を見学した後は、すぐ近くの「細石神社」をお参りしました。

その様子は、また後日。

 

 

 

三雲南小路遺跡

福岡県糸島市三雲453

http://www.itoshima-kanko.net/?contents-cat=%E4%B8%89%E9%9B%B2%E5%8D%97%E5%B0%8F%E8%B7%AF%E9%81%BA%E8%B7%A1%EF%BC%88%E3%81%BF%E3%81%8F%E3%82%82%E3%81%BF%E3%81%AA%E3%81%BF%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%98%E3%81%84%E3%81%9B%E3%81%8D%EF%BC%89(糸島市観光協会HP)

 

 

井原鑓溝遺跡推定地

福岡県糸島市井原・三雲

 

 

 

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