御所神社・柳の御所(その1)~安徳天皇仮御所跡 ~福岡県北九州市門司区の神社・史跡 | 九州下町おやじの珍道中

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2016年8月中旬の北九州・門司の大里宿跡歴史散策の続き。

 

黄金塚」を見学した後は、更に国道3号線を門司駅方面に散策してみました。


 

黄金塚のレポ。

http://ameblo.jp/indyaki12/entry-12255723021.html
 

 

黄金塚」から国道3号線に沿って暫く進み、途中で左側(山側)の路地に入り進んで行くと、神社が見えて来ます。こちらは「御所神社」。

 

 

入口の左側にある由緒書き。あら?柳の葉っぱで、文字が全然読めん(笑)。

 

 

ということで、後日、読み易くなった由緒書きでご紹介(笑)。「柳の御所」。(この写真のみ2016年10月中旬撮影。)

 

寿永2年(1183)木曽義仲に都を追われた平家一門は、安徳天皇を奉じて西に逃れ太宰府に落ちて行きましたが、豊後の豪族緒方三郎惟義が攻め寄せると聞いて、更に遠賀郡山鹿の城を経て、豊前国柳ヶ浦に辿り着きました。この「柳ヶ浦」が現在の「大里」のことで、古い記録には「内裏」と書かれているのは、ここが仮の御所があったからになるんですね。

 

現在、「戸上神社」の御旅所となっているこの地が、昔の仮御所の跡であろうと伝えられて「柳の御所」と呼ばれている、とあります。

 

柳の御所」だからこそ、柳の葉で、由緒書きが読めなかったのでしょうね(笑)。


 

境内には、平家の公達の歌碑があるそうです。

 

都なる 九重の内 恋しくは 柳の御所を 立寄りてみよ  薩摩守 忠度

 

君住まは ここも雲井の 月なるを なほ恋しきは 都なりけり 大納言 時忠


 

境内に入ると、右手に安徳天皇と刻まれた石碑があって…。その下には、由緒書きにあった平忠度公の和歌が刻まれていました。

 

 

こちらにも歌碑が!

 

 

中央には由緒書きがあって…。「九月十三夜の歌読の事」。平家の公達が詠んだ歌のことが書かれていました…。

 

 

向かって右の歌碑。「分けてきし 野辺の露とも 消へすして 思はぬ里の 月をみるかな  経正卿」。平経正は、平経盛の長男で、平敦盛の兄に当たる人物。

 

 

向かって左の歌碑。「君住まは ここも雲井の 月なるを なほ恋しきは 都なりけり 時忠卿」。平時忠は、平清盛の継室時子の弟に当たる人物で、「平家にあらずんば人にあらず」と言った人物。

 

 

由緒書きの足元には、何故か、埴輪が(笑)。

 

 

大きな手水石。

 

 

安徳帝柳御所旧跡と刻まれた古い石碑もありました。

 

 

境内を進んで、鳥居。

 

 

鳥居をくぐりすぐ左手には、石祠があります。

 

 

由緒書き「キリメン様の石室」。この石室には、文化2年(1805)の銘があり、木舟社キリメン様と呼び親しんでいた村人たちが神様を保護する為に建立したものと思われる、とあります。

 

柳の御所」の調査の為に訪れた佐野経彦翁は、文久3年(1862)「柳御所考」に、この石室の中に、木像二体の御神像が安置され、一つは安徳天皇、もう一つは平宗盛であり、その製作時期は文治・建久(1185~1198)の頃と思われると記した、とあります。
その御神像は、現在、「戸上神社」の御神宝として納められているのか~。


 

その石祠の後ろには「小大典記念」の大きな石碑があって…。

 

 

その横には「大里郷土資料館」があります。でも、閉まっているようでした…(^^;

 

 

 

御所神社・柳の御所
福岡県北九州市門司区大里戸ノ上1-11

 

 

 

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