猿猴橋 ~復元された被爆橋梁 ~広島市の橋・被爆建造物 | 九州下町おやじの珍道中

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先月1月中旬に、仕事で広島に出掛けて、「いちけん」という居酒屋で飲んましたが、その日中というか夕方、仕事終わりにぷらぷら歩いている時に見かけたものをレポしますね。


 

いちけんのレポ。

http://ameblo.jp/indyaki12/entry-12245480391.html
 

 

ぷらぷら歩いていると、何やら、大きな石碑のようなものを発見。

 

 

近づいてみると、「猿猴橋」とありますが…。おお!橋の親柱なのか~。大正15年の銘も見えました。

 

 

その横には由緒書きが…。「猿猴橋」は、毛利輝元公が広島城築城を始めた天正17年(1589)頃に、木橋として架設され、大正15年(1926)に現在のコンクリート橋に架け替えられた、とあります。

 

 

昭和18年(1943)戦時下の金属資源不足の為、電飾や透かし彫り等の装飾品が全て供出され、石の欄干と親柱に取り替えられてしまって…。
そして、昭和20年(1945)の原子爆弾投下では、欄干の一部が破損する被害を受けたものの、構造的な被害はわずかにとどまり、被災者の避難や救援活動に使われたのですね…。
平成28年に、架け替え当時の姿に復元した、という訳か~。


 

被爆石の保存・活用」という説明書きもありました。

 

 

復原された「猿猴橋」を眺めて…。

 

 

頼山陽の漢詩も掲示されていました。

 

 

猿猴橋」に近づいて…。親柱はまた、派手ですね~!先程の石の親柱とは全然違う!

 

 

親柱のてっぺんには、鷲の姿が…。カッコいい!

 

 

猿猴橋」の欄干には、お猿さんが!流石、「猿猴橋」(笑)。

 

 

猿猴橋」を渡ります。

 

 

猿猴橋」を渡ると、また別の由緒書きがあって…。「西國街道と猿猴橋」。
西国街道とは、広島藩内での山陽道の呼び方なのか~。

 

猿猴とは、広島地方ではサルに似た河童のような想像上の怪物のことを指すのですね…。
洪水のたびに、人々を川に引きずり込む怪物なのか…。


 

おっ!?こちらにも、親柱の上のモニュメントがありますね。

 

 

このモニュメントの由来。

 

 

広島駅から、南に真っ直ぐに延びる大通りにも、「猿猴橋」の由緒書きがあって…。

 

 

猿猴河童由来」という由緒書きもありました。「えんこう」は、広島ではカッパのことを言うのですね。知らなかった…(^^;

 

 

歴史ある「猿猴橋」。この橋もまた、原爆の被害を受けていたのですね…。
しかし、広島駅近くでも、被爆建造物が見られるとは、思いませんでしたが、山陽道西国街道)に架けられた橋。流石に見事です。
いいものを拝見しました(^^)



 

猿猴橋
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/97/enkoh-bridge2.html(広島県HP)

 

 

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