藍場川・唐樋札場跡(高札場跡)・道路元標 ~山口県萩市の川・史跡 | 九州下町おやじの珍道中

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昨年2015年9月下旬の萩・三田尻(防府)歴史散策の続き。

 

山県有朋誕生地碑」「厳島神社旧跡碑」を見学した後は、萩散策を続けました。
今度は、北部に向かいますよ。


 

山縣有朋誕生地・厳島神社旧跡のレポ。

http://ameblo.jp/indyaki12/entry-12216859796.html
 

 

萩往還を北上すると、小さな川と言いますか、水路を発見。「藍場川」というそうです。

『鯉が放流され、周辺の風情が印象深い
藍場川(あいばがわ)
18世紀半ば 6代藩主毛利宗広が、参勤の折に岡山城下に立ち寄った際、岡山城下では瀬戸内海に注ぐ吉井川から城下へ倉安川という大きな溝を掘って水を引き入れ、城下の経済が潤い、生活に活用されていました。これを真似て、延享元年(1744)、農業用水路程度であったものを大きく開削したのが藍場川で、2.6キロメートルにわたり市内を縫うように流れています。
大川(松本川)より水を引いたので、それに対して溝川と呼ばれ、農業用水をはじめ防火用水、川舟による物資の運搬や水害時の水はけに利用されました。
その後、明和年間(1764~71)藩営の藍玉座が設営され、そのため川が藍色に染まり、いつの間にか藍場川と呼ばれるようになったといわれています。(後略)(萩市観光協会HP)』

http://hagishi.com/search/detail.php?d=100046


 

この場所の右手の方には、更に風情のある風景が続いているそうです…。

 

 

萩往還を更に北上すると、石碑を発見。句碑のようです。

 

 

由緒書き「井上剣花坊」。萩出身者なのですね…。あまり存じませんが…(^^;

 

 

井上剣花坊句碑」の近くには、こんなものが!

 

 

反対側に回ってみると、何やら、掲げられていますが…?

 

 

由緒書き「高札場(復原)」。ここに高札場があったのですね。それを発掘・復原したのか~。面白い!

 

 

高札場の脇には、何やら、白い小さな石碑があります。

 

 

こちらは「道路元標」。この「唐樋札場跡」の整備の際に、道路内から発見されたもので、「萩町道路元標」「萩町 大正12年4月建設」と刻まれているそうです。


道路元標が道路の中から見つかるとは…驚きです!
しかし、以前はこの場所にあった訳ではなく移動されたもの。元位置には石材で路面標示してあるとのことですが…。

 

おお~あった、あった!「唐樋札場跡」の北側の道路部分に表示されていました。

 

 

藍場川」「高札場跡(唐樋札場跡)」を見学した後は、次の目的地「旧萩藩御船倉」に向かいました。
その様子は、また後日。



 

唐樋札場跡(高札場跡)
山口県萩市東田町11付近
http://www.hagishi.com/search/detail.php?d=1100248(萩市観光協会HP)


 

藍場川
http://hagishi.com/search/detail.php?d=100046

 

 

 

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