昨年2015年9月下旬の萩・三田尻(防府)歴史散策の続き。
「萩キリシタン殉教者記念公園」「清水親知旧宅地」「江風山月書楼跡」を見学した後は、「口羽家住宅」に向かいました。
萩キリシタン殉教者記念公園・清水親知旧宅地・江風山月書楼跡のレポ。
http://ameblo.jp/indyaki12/entry-12194624733.html
「江風山月書楼跡」から東に進み、突き当たりを右折。南に進むと、右手に立派な門が見えて来ます。
こちらは、次の目的地「口羽家住宅」。国の重要文化財に指定されているのですね。
由緒書き。口羽家(くちばけ)は、萩藩の寄組士(1,018石余)で、代々、三の丸に住み、表門は、萩に現存するものでは最大の長屋門になります。
入館料100円を支払って、中に入って…。
門をくぐると、「口羽家住宅の概要」がありました。
口羽家は、毛利氏の庶流で、もとは石見国邑智郡口羽村を領した用路城(ようじじょう)主であったが、関ヶ原の戦の後、毛利氏に従って、萩に移った、とあります。
表門をくぐり、敷地内に…。いや~立派な門ですよね!
主屋に上がって、内部を見学。
おお~これが馬印か~。立派ですな~。
解体復元工事が行われたので、内部はしっかりしていました。
「口羽家について」の説明書きがあって…。
口羽家は毛利氏から分かれた家筋で、南北朝時代に、毛利親衡(ちかひら)の次男・匡時に始まり、その三代後の元良からは志道氏を名乗っていました。
その後、毛利元就・隆元・輝元に仕えた志道通良が、後に石見国邑智郡口羽村の領主となって、そこに住んだので、口羽氏と改め、口羽通良と名乗りました。
「口羽家略系図」もあって…。
「口羽家住宅」の庭の奥に回って見ると…。おお~橋本川に面しているのですね!
とってもキレイでした♪
「口羽家住宅」の見学を終えて、外に出て、表門を眺めて…。流石は、毛利氏庶流の家系だけありますね。立派なお屋敷でした(^^)
詳しくは、こちら。↓
http://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/41389824.html
「口羽家住宅」を見学した後は、更に東の方、東萩駅の方に向かいました。
その様子は、また後日。
口羽家住宅
山口県萩市堀内141-4付近
http://hagishi.com/search/detail.php?d=100021(萩市観光協会HP)