もう1ヶ月?
まだ1ヶ月?

大好きな妻が旅立って1ヶ月が
過ぎてしまいました。

命日は
令和6年2月28日。

亡くなって日が浅い内は
彼女を連想するもの全て
見るだけで胸が苦しくなり、
遠ざけていました。

でも、
日が経つにつれ…。

人の噂も七十五日と
言うように。

私だけでも彼女の事を
ずっとずっと忘れずに
思い続けてあげたいと
考えるようになりました。



思い返せば、
2019年10月腫瘍がある膵臓の
全摘術を受けた後、病院内を
歩けるほどにまでなっていたのに
約1週間程で意識が無くなり、
水頭症を発症してしまいました。


上手く喋れない構音障害。
流動物は誤嚥の危険性が高い為
胃瘻を増設。
手足が上手く動かせない
運動失調。
体温の調節が出来ない。
などのハンデが存在しました。

ただでさえしんどいのに
彼女は…。

「元気になりたい。」
「歩けるようになりたい。」と
泣きながらリハビリに懸命に取り組んでくれました。

半年以上の入院中、ずっと
彼女の病室から出勤し、終われば
病室で付き添っていました。


突然、大きな大きなハンデを
被ってしまった彼女の事を思うと
私がずっと傍にいてやりたいと
いう思いが、私を突き動かした
のでした。


2020年9月退院して帰宅。

訪問介護や訪問看護、訪問リハビリサービスを利用しながら、日中は仕事を続けました。

日常生活の動作のほとんどに
介助が必要でしたが、出来るだけ
ベッドから離れるよう心掛け、
トイレ介助や移動移乗の介助、
インスリン注射や注入食の管理、
お薬の管理、寝る前のマッサージなど私が出来うる限り、彼女の
身の回り事をしてきました。


彼女の事を思うと
苦にはなりませんでした。


私が65歳まで働き、年金生活に
なれば、ずっと一緒に居られる
ようになると思っていました。


あと3年で引退して、ずっと
一緒に過ごせる…。


一方、彼女は…。
『(こんな身体になって)
          ごめんね。』
『(私が居なければ)ヨッちゃんが
   楽になるのに…。と

喋りにくい中でも
私を気遣う思いを言葉にして
くれました。

私は只々、あなたと一緒に
居たい。傍に居てくれるだけで
幸せでした。


でも、そんな私達に
神様は更なる試練を与えました。


今年の1月後半から腹部の膨満が
見られるようになって、
2月上旬には自尿が出なく
なり…。

腹水が溜まって来ている事
確信し、救急搬送で入院。

それが2月8日。

県立医科大学病院の
消化器内科の医師は…。

肝硬変から来る肝機能障害で
肝性腹水が溜まり、低アルブミン血症起こしている。
それを補おうとして腎臓に負担が掛かり、腎機能の低下が原因で
尿閉となっている。

血液中の老廃物や水分を
排泄出来なくなり、腹水の
貯留や下肢の浮腫が強く
なっている。

溜まっている腹水は、抜くと
一時的に楽になるが
抜きすぎると、ミネラルバランスが崩れてしまい、急性腎不全を
起こしてしまう。

患者さんの延命を望むのなら
透析しかないが、一時的にもの
なので、体力的に持ち堪え
られるかどうか…。
苦痛を伴うものになる可能性が
高い…。

  即ち、それは
  透析装置がある病院に
  留まらなくてはならず、妻が
  1番嫌がっている入院を余儀
   なくされ最悪、病院で亡く
   なってしまう可能性が高く、
   彼女が1番望まない事だった。


医師から
透析をしなければ約1週間。
と余命宣告がありました。

彼女はそれを聞いて…。


 『家で死にたい。』って
 はっきり自分の意志を
 自分の言葉で答えました。

とてもとても辛い
言葉に出来ない程辛い
決断をしなくてはなりません
でした。

何も出来ない
どうしようもない
虚無感、悲哀感に苛まれ
そうになりました。



長々と取り留めのないことを
綴ってしまいました。



最後まで目を通してくださった
事に感謝いたします。
ありがとうございました。