昨日、JWP東京キネマ倶楽部大会観戦に行った。
開場前から、かなりの人並んでた。
JWPの選手からチケット購入していたので、受け付け済まし待つ事15分ようやく開場((o(^∇^)o))
ちなみに、俺様が推している選手はチケット購入した『中島安里紗』選手だ。
グッズを彼女から買い、差し入れの梨渡した。超喜んでくれて、オッサン嬉しい
↓↓↓↓↓d=(^o^)=b↓↓↓↓↓↓
売店でグッズを買ったり、会場の雰囲気を感じたりしていた。なかなか雰囲気いいじゃん。
席は2列目3番といい席用意してくれた。
サンキュー中島選手( ̄∇ ̄*)ゞ
ただ、場外乱闘気をつけなければ(^-^;
いざ観戦!全4試合
久々JWP観戦したが、熱いね(o^・^o)
『闘い』があった。
第1試合
ライディーン鋼対星ハム子戦
鋼選手は、JWP若手身体でかくて将来有望なレスラーになるんではと思う。
あえて言うなら上半身下半身バランスよく鍛えたら、倉垣選手のようなパワーがあって、器用な選手になれると思う。頑張れ!
第2試合
阿部幸江・KAZUKI対ラビット美兎・川佐ナナ
タッグマッチ!
ベテラン選手対若手選手の試合。
ラビット選手の『このクソババア~!』はよかった。リングの中は先輩後輩関係ないからアリアリ(^-^)v
でも、やっぱりベテランチームの勝ち。
ベテランベテランっていうと、選手に怒られるかもしれないけど、試合運び上手い。
第3試合
輝優優~FinalRunatJWP.1
輝優優・Leon対倉垣翼・ヘイリーヘイトレッド
タッグマッチ!
輝選手が12月で現役引退するという事。
この選手のエルボー凄かった。だが、倉垣・ヘイリー組はパワーありテクニックあり、そして身体がデカイ!
Leon選手も身体小さいなりに場外ダイブしたり機動力使って頑張ってたね。
結果は、輝選手が倉垣選手からピンフォール勝利。
倉垣選手は、シングルマッチ要求!だが、ヘイリー選手も要求!次回3WAYマッチ決定となったようだ。楽しみだ。
第4試合メインイベント
推している中島安里紗選手が登場((o(^∇^)o))
キャプテンフォール・イリミネーション変則マッチ
8人タッグマッチ。
中島選手に注目して見ていた。入場時いい眼してた。まさに、闘う女!動きもいいし、ほんと『闘い』を存分に見せてくれたが、負けてしまった。俺様も悔しかった。
いろいろ因縁からんでた試合だっただけに悔しかった。
対戦相手のサポーターから心無い野次が入った、そいつシバいてやろうかと思った。その野次のせいで雰囲気悪くなったなぁ~。
次、観戦時、野次ったらシバきます。これ、マジ。
でも、ハッピーエンドバッドエンドがあるのがプロレスの面白さ。点と点が結ばれるのがプロレスの面白さだと思うからたのしかったよ。これ、マジ。
ただ、その後心配な出来事が、起こった。同じ会場、夜の興行で中島選手負傷したとの情報。歯を折ったとの事。
非常に心配。早く良くなること祈ります。
一番スゲェ~のはプロレスなんだよ!
中島選手お大事にな!
ほんじゃ。
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今日ある病気の発作がおきて、会社早退してきた。
発作を抑える薬、今日に限って忘れてしまった。
俺は、新しい配属先で責任者として2011年3月頭から他の部署に移る責任者と業務引き継ぎを行っていた。
前の配属先より大きい規模の中での仕事。
嬉しさより不安が一杯だった。
一旗揚げてやるとも思ったが不安だった。
そんな矢先の
2011.3.11。。。
俺の人生が変わってしまった日。
東日本に大地震が発生した。
そこから、俺の地獄が始まった。
物流系企業の工場は、東北地方に拠点を構えている場合がほとんどだった。
そのため、商品確保に最善を尽くさなければならなくなり、引き継ぎもそっちのけで
ただ商品確保に専念した。
医療系という事もあり非常に商品確保が難しい状況が続いた。
引き継ぎも、中途半端なまま前責任者は、他部署へ移っていった。
他社の人間も入っている部署。
他社の人間達が一癖も二癖もあり、前責任者や弊社社員も非常に扱いに手こずっている輩。
指示通りやらず、それからというものの、何度キレた事か。この時から、もうおかしかったのかも。
それから、約2ヶ月位朝8時半から日付変わるまでの生活。
自宅に帰らず車で寝て出社した事もあった。食事もまともにとれない日々。
家では、母の体調が悪くなり入退院したり。
全てにおいて、限界を越えつつあった。
そんな時、上司から部長や顧問から
゛あいつを何とかしろ゛
゛あいつは何一つできてない゛
と、言われたらしい事を聞いてしまった。
意味が分からなかった。今でも分からないが。。。
それが、引き金かどうかわからないが、原因不明の目眩・呼吸困難。元々高血圧で薬飲んでいるにも関わらず血圧上昇。
出社しては早退。出勤中で、調子が悪くなり休み。部屋に閉じ籠る。
親とも会話もしたくなく、誰とも会いたくなく、何もしたくなくなってしまった。
大変だった時、皆必死で目の色変えて商品確保に専念してたので、相談も何もできなかった。何も分からず、皆に追い付こうと新しい配属先の業務を分からないなりにやった。ほとんど放置されながら。。。
一週間休み、突然地元の仲間に会いたくなった。元々東京にずっと住んでいて、諸事情により父の定年後千葉県に引っ越してきた。だから、仲間になかなか会えずにいた。
その前に、ある病気の名前がちらついた。
『鬱病』。。。『自律神経失調症』。。。
勇気を出して、心療内科を受診。
問診やテストを受けたり、話を聞いてもらい、出た病名『パニック障害』。
このまま、ほっとくと『鬱病』に進行するとのこと。先生から『あなたの生命力が生きたい、だから、無理するなという信号を送ってくれたんですよ。』と、言われた。
それから、今でも通院している。
話は戻るが、仲間に連絡し心療内科を受診した件だったり、近況を報告したら『俺らもお前に会いに行くから』と、言ってくれた。ありがたかった。
その時、外に連れ出してくれたのが戦国時代の(廃)城巡り。
城といっても建物があるわけもなく、道なき道を登ったりして城があったであろう跡を見て、当時を偲ぶ。
歴女ブームとかあったけど、何が面白いのか分からなかった。
でも、大変な思いしたりして城跡に辿り着くと、゛生きてる゛っていう実感が何故かわいた。
それからというものの、戦国武将の本を読むようになった。読みはじめてから何故か自分の人生観変わった気がした。説明できないが。
その後約1ヶ月位長期休職した。
また、やり直せばいいと考え社員を辞め、無理のない契約社員として同じ会社でお世話になっている。
いつか、正社員に戻れる事を祈って。
でも、俺のこの病気どれくらい理解認識されてるんだろう?
苦しんでる人結構いると思う。
あの地震で、亡くなった人。家・財産を流された人。仕事をなくした人。。。
この方々に比べれば、俺なんか大したことないが、あの地震で、人生が変わった人多いと思う。
俺らは生かされたんだから、亡くなった方々の分も併せていろんな意味での復興をしていかなければならない。
2011.3.11
俺は一生忘れない。
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発作を抑える薬、今日に限って忘れてしまった。
俺は、新しい配属先で責任者として2011年3月頭から他の部署に移る責任者と業務引き継ぎを行っていた。
前の配属先より大きい規模の中での仕事。
嬉しさより不安が一杯だった。
一旗揚げてやるとも思ったが不安だった。
そんな矢先の
2011.3.11。。。
俺の人生が変わってしまった日。
東日本に大地震が発生した。
そこから、俺の地獄が始まった。
物流系企業の工場は、東北地方に拠点を構えている場合がほとんどだった。
そのため、商品確保に最善を尽くさなければならなくなり、引き継ぎもそっちのけで
ただ商品確保に専念した。
医療系という事もあり非常に商品確保が難しい状況が続いた。
引き継ぎも、中途半端なまま前責任者は、他部署へ移っていった。
他社の人間も入っている部署。
他社の人間達が一癖も二癖もあり、前責任者や弊社社員も非常に扱いに手こずっている輩。
指示通りやらず、それからというものの、何度キレた事か。この時から、もうおかしかったのかも。
それから、約2ヶ月位朝8時半から日付変わるまでの生活。
自宅に帰らず車で寝て出社した事もあった。食事もまともにとれない日々。
家では、母の体調が悪くなり入退院したり。
全てにおいて、限界を越えつつあった。
そんな時、上司から部長や顧問から
゛あいつを何とかしろ゛
゛あいつは何一つできてない゛
と、言われたらしい事を聞いてしまった。
意味が分からなかった。今でも分からないが。。。
それが、引き金かどうかわからないが、原因不明の目眩・呼吸困難。元々高血圧で薬飲んでいるにも関わらず血圧上昇。
出社しては早退。出勤中で、調子が悪くなり休み。部屋に閉じ籠る。
親とも会話もしたくなく、誰とも会いたくなく、何もしたくなくなってしまった。
大変だった時、皆必死で目の色変えて商品確保に専念してたので、相談も何もできなかった。何も分からず、皆に追い付こうと新しい配属先の業務を分からないなりにやった。ほとんど放置されながら。。。
一週間休み、突然地元の仲間に会いたくなった。元々東京にずっと住んでいて、諸事情により父の定年後千葉県に引っ越してきた。だから、仲間になかなか会えずにいた。
その前に、ある病気の名前がちらついた。
『鬱病』。。。『自律神経失調症』。。。
勇気を出して、心療内科を受診。
問診やテストを受けたり、話を聞いてもらい、出た病名『パニック障害』。
このまま、ほっとくと『鬱病』に進行するとのこと。先生から『あなたの生命力が生きたい、だから、無理するなという信号を送ってくれたんですよ。』と、言われた。
それから、今でも通院している。
話は戻るが、仲間に連絡し心療内科を受診した件だったり、近況を報告したら『俺らもお前に会いに行くから』と、言ってくれた。ありがたかった。
その時、外に連れ出してくれたのが戦国時代の(廃)城巡り。
城といっても建物があるわけもなく、道なき道を登ったりして城があったであろう跡を見て、当時を偲ぶ。
歴女ブームとかあったけど、何が面白いのか分からなかった。
でも、大変な思いしたりして城跡に辿り着くと、゛生きてる゛っていう実感が何故かわいた。
それからというものの、戦国武将の本を読むようになった。読みはじめてから何故か自分の人生観変わった気がした。説明できないが。
その後約1ヶ月位長期休職した。
また、やり直せばいいと考え社員を辞め、無理のない契約社員として同じ会社でお世話になっている。
いつか、正社員に戻れる事を祈って。
でも、俺のこの病気どれくらい理解認識されてるんだろう?
苦しんでる人結構いると思う。
あの地震で、亡くなった人。家・財産を流された人。仕事をなくした人。。。
この方々に比べれば、俺なんか大したことないが、あの地震で、人生が変わった人多いと思う。
俺らは生かされたんだから、亡くなった方々の分も併せていろんな意味での復興をしていかなければならない。
2011.3.11
俺は一生忘れない。
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