ロマッシュさんのブログ
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生い立ち

2010年3月4日の日記:


ども♪

年もあけましたね!(て3月入ってるけど。。。)
久々の日記は簡単なプロフィール書いてみました。


例の如く簡単なプロフィール(生い立ち):


0歳
神々の国、某国印度に誕生
デリーと言う大都会に生まれたシティボーイ

2歳 
大阪に来日
幼稚園で一台旋風を巻き起こす(夏の風物詩黒い者勝ちのくろんぼコンテスト優勝)
空手を始める

6歳 
東京に上京
インターナショナルスクール(SANTA MARIA)デビュー
(昼寝タイムは最高でしたね)
英語話せないので(それはそうだ)プレスクールからスタート
空手は断念、(痛いしね)少林寺拳法を習い始める(なんでやねん)

8歳 
がり勉能力が開花し、小1から小3へ飛び級
(単に年齢に合わせてくれたと言う説もあり)
長い夏休みは悠々とインドで満喫、
毎年夏にしかない少林寺の昇進試験を受けれず万年白帯。

11歳 
小学校卒業、せっかくのCO-EDであったのに都内唯一のインターナショナルスクールの男子校(ST.MARY`S)へ進学。男子校生活を強いられる。

15歳 
そろそろ頭では世界の人たちに適わないと悟り、路頭に迷う。
ディズニーランドのホーンテッドマンションの列に並んでいた歳、
5歳児に「お母さんアラジンだよ」と指差され、本気にしたのか、
若気の至りで外タレデビュー。
拳法の道場では古株になりつつも昇進しないボーイとして一世を風靡する。 ある意味、昇進しない記録を達成しつつさすがに胴着が8歳児くらいの時のままだったので駄々をこねて新しい胴着を買ってもらう。と同時に昇進の快進撃が始まり、結果オーライ。
道場を引退。

17歳 
以外と負けず嫌いでわざわざ学校のスパルタコース(IB DIPLOMA)を選択。(ヨーロッパに進学したら1-2年飛び級出来るらしいと)
スパルタに押し潰され、父も亡くなり、初めての彼女に振られ、
フリーランスでのモデル仕事の両立も疲れ果て、全てが重なり、
思春期にパンクする。

18歳 
一人っ子の宿命を背負い、(母一人には出来ない)
海外離脱を断念、上智大学に入学。
高校卒業後の引き篭もり生活から一念発起し、華の大学生活に突入。
モットーを「一切考えずに生きよう!」と変更後、
とりあえずサークル10個に入る。
外タレ活動も進み、人生2度目のTVCM、ボンカレー「あ、あれ食べよ」、 に出演、某有名女優と共演を果たし、
一躍大学内で「カレーの人!」とイメージを定着させる。
学食内では基本的にカツカレーを注文、忠実にイメージ戦略を図る。
(一度、駅前のドトールで通りすがりの人に顔見て腰抜かれる)
何を間違えたのか留学生と間違って声をかけられ、国際交流サークルによる「留学生による日本語スピーチコンテスト」に出る、しかも負ける。

20歳 
入学時入ったサークルのうち、7つが廃部となり、3つとなる。
そのうちの1つビリヤードベースオールジャンルサークルの会長となる。モデル活動で新入生歓迎コンパを大遅刻、副会長にどやされる。

そろそろ「カレーの人」に縋るのは良くないと思い、
ミスターソフィアコンテスト出場、なんの間違えか、優勝する。
その後、3年同コンテストは開催されず、在学中はずっとミスターソフィアのポストにあやかる。

22歳 
激闘の就職活動を終え、某大手広告代理店に就職。
大手自動車メーカーを営業として担当、社会人初の仕事が日本語の新聞の校正作業。延々と続く自動車メーカー広告欄のディーラーの名前、所在地、電話番号の確認。うん、で漢字が苦手な訳ですよ。
週3ー4日の国内日帰り出張で家にいるのか会社にいるのか新幹線乗ってるのか感覚が麻痺、どこでも寝れるようにする。

23歳
入社2年目で東麻布に家を購入。
中古物件ながら最高の立地、広さ(3LDK)でおしゃれな広告マンライフを満喫する。だが得意先も同メーカーの海外部門を担当する事となり、国内出張に加え海外出張が入り、尚更家にいるのか会社にいるのか新幹線乗ってるのか飛行機乗ってるのか、はたまたここは日本なのか!?と言う感覚に陥る。(ちょっと言い過ぎましたすみません)

25歳
職務に忙殺されながら飲食店をオープン。
オープンしたはいいが働き手がおらず後輩に手伝ってもらう。

26歳
飲食店が回らず給料が横流し状態に。
東麻布の家を売却、売却益でなんとか店を軌道修正する。
おしゃれなバーとしての指向を諦め「美味しいカレー屋」を目指す。
また品川に家を購入。

27歳
「石の上にも三年」ととりあえず三年は我慢したぞと転部の期を見計らって広告代理店を退社、しばし休息。のはずが実家の旅行代理店に入る。大して儲かってないのに飲食店の2号店目をオープンする。でまた経営が火の車になる。

28歳
大宮でビル一棟を購入、賃貸収入を見込む。
開業時お世話になったコンサルの先生にクライアントを紹介してもらい、カレーの冷凍販売卸業務を開始。飲食店向けと並行して個人向けに販売する準備を進める。事業拡大を見込み中葛西に一軒家を借りる。セントラルキッチン兼弁当販売アウトレットを開始予定。同場所でカレーベースを生産、店舗へ輸送という仕組み作りを開始。

現在にいたる。

うーん、なんか最後面白くないね。
もっとたのしまなきゃな。

現在にいたる

夢の「今」

2008年12月③日の日記:


......


とは言うものの、早くから父と言う人生の指標を亡くし、師匠と呼べる人がいなかった。
具体的な目標が決まっても到達するレールが見えない自分は、目先の選択に迫られ、「大手、日本資本、コンサル」といった選択基準により、就職活動の末、某広告代理店に入社する事が出来た。

社会人になり、会社の末端の歯車として先輩方と出会い、鍛えられ、成長する実感を得た。
1年目よりも2年目、2年目よりも3年目、確実に自分と先輩達との実力差を痛感し、かといって確実に成長した自分と自分の後輩達との違いを垣間見て、会社の優れたエレベーター式成長法による自分の成長を感じた。

入社2年目、改めて将来の夢について考えた。
とにかく凄い事がしたいんだ。
凄い事をするには全力で向かっていかなければならない。
全力で走るためにはしばりから開放されなければならない。

という事で、人間の3大欲求:衣食住 のしばりから開放される方法を考えた。

衣: いつでも着る服があって
食: いつでもただ飯が食べれて
住: 住むところがあれば

自由だ。

一番分かりやすいところで、住を克服する事を考えた。
社会人2年目となり、中古物件を東麻布で買った。
と言うか2年目でローンが降りるって事を知って驚いた。
初めての大きい買い物、初めてのローン、人生初めての自分発動の大きいステップだったと思う。

東麻布の家は今までにない程の出会いと思い出をくれた。

2年目の後半、食を克服するため、会社から家への帰り道に飲食店を作った。
片っ端りから飲食関係の専門書を読み、専門書の執筆者であった先生の事務所に伺って相談したらとんとん拍子でレストランが出来上がってしまったんだ。

3年目になり、店の経営がピンチで東麻布の家を売った。
親友であり不動産屋の某Z氏にピンチを助けてもらった。
初めての不動産収益は元の値段より年収分多いおみやげだった。

当時、3足の草鞋を履いていた:
会社員 ⇒ 某H社
経営者 ⇒ 飲食店
投資家 ⇒ 不動産、外国投資ファンド

どちらも大変な経験だったけれど、
投資家としての自分が一番好きだった。

会社員として働いていたH社は大手で、尊敬出来る人もいれば死ぬほど嫌いな人もいたし。
経営者としては、自分は性質上人に物事をお願い出来ない。

四年目になり、会社を退職する決意をした。
ちょうど四年目は部署異動の年であり、
自分に言い聞かせていた「石の上にも三年」の期限が過ぎた時期であった。

退職前にZ氏のお陰で品川に家を再購入した。
しばらく住んだものの、収入が激減したこともあり、
一旦自分の人生をたたむつもりで品川の家は賃貸で貸し出し、
H社退職後から入社していた実家が経営している旅行会社の事務所に寝泊りする事にした。

相変わらずの3足の草鞋ではあるが、
今は全て自分始動の立場で、束縛されていた時間を取り戻した。
要は暇になったのだ。

夢の「今」は自由を手に入れる事なのだと思う。
そのためにはもっと確実な自由。
金銭的束縛からの自由、個人でしか出来ない事からの拡張、精神的な成長。

投資家としてもっとお金を稼いで、経営者として自由に動かせる組織を作り、人のために生きる事が出来る精神的自由を得たい。

そのためには:
① Z氏と共謀し、不動産投資にかける。
② その他投資案件をたたみ、次のステップの資本を確保。
③ 昨年2号店まで立ち上げたライムズグループを拡大。
東京中心に10店舗まで増やしたい。地方進出したい。
④ 株式会社の設立。本部の設立。インド人、日本人雇用の創出。
  臨機応変に対応出来る組織作り。
⑤ その他ビジネスの創出。
⑤ とにかく出会いの輪を再度広げよう

まだ成長出来る自分がいると思う。
夢と言う目標があるからこそ、今の自分があると思う。

その夢は夢を生み、方向性となり、線を描いて将来への道筋を描いている。




夢の始まり

2008年12月2日の日記:


日記久々わーい(嬉しい顔)

書く事がない訳ではなく、
書く時間がない訳でもなく。

書き始めると深く考えすぎてしまうので、
日記は何度もお蔵入り。

自分、基本真面目ですからウインク

今回の日記は「夢」について。
突拍子もないけど、自分を知ってもらう分かりやすい指標だから。

そう、このインド人は夢を持っている。
その夢は夢を呼び、方向性となり、線を描いて将来への道筋を描いていると思う。

まず、自分にとって基本に根ざす夢は:
「世界一のインド人になる」と言うこと。

人生の目標、哲学として、世界一のインド人を目指す。
自分の人生を3っつのステージに分け:
①自分自身にとっての世界一のインド人
②結婚後、家族にとっての世界一のインド人
③広い世界で、世界一のインド人

「世界一のインド人」=「世界一魅力的なインド人」
といった感じかな。

元々Inferiority Complexが激しかった自分として、
始めて夢を思い描いたのは「自分に自信を持ちたい」、
と言うところからだと思う。
日本在住インド人と言う立場上、日本でもインドでも外国人扱いであったところもあり、
その自分の居場所が分からない時期の事。※その反動で以前書いたエッセイ「私はインド人であり、日本人であり、それ以上である。。。」が出来上がったのである。

「自分に自信を持つ」手段として、人に好いてもらいたく、
「魅力的な人間」を目指す事となったと思う。

上記抽象的な夢に具体性が加わり、
人生のレールを敷き始めたのは大学3年時、就職活動中だった。

自己分析を進める中、自分が魅力的だと思う将来の自分像を考え、
自分の「夢」を見出してみた。


「10年後、35歳までに、インドの首都ニューデリーで、成熟しきったホテル産業の中、5つ星ホテルを立ち上げ、マーケティングで一流ホテルに仕立て上げる」

高校時代、父とよくインドで一緒にホテルを建てようと話したもんだった。父は自分が高校卒業時に亡くなってしまったが、父との夢を叶えたかった。また、亡くなった父は尚偉大で、子の役割である父の背中を超えるためには父が働いた同じ業界で、父が成し遂げなかった事をやってみせるしかないと考えたんだ。(父は旅行業界で働いていた)

だから、35までにインドでホテルを立ち上げないと行けない。

そうしないとまず自分に自信が持てないのだ。
「世界一のインド人になる」、のステージ1(自分自身にとって世界一になる事)すらクリア出来ていない事になる。

....続く