継母が退院して来て、1週間ちょっとが経ちました。
 
退院してすぐに家の中で転び、途中2度病院に通わなければならず。あせる
 
本人の思った以上に体が動かないようで色々難しいですが、私がいなくなると助けてくれるのは週に数回のリハビリや訪問介護だけになってしまうので
 
今のうちにできるところまでやるしかありません。
 
 
私は来年の3月末までは日本にいたい気持ちでいっぱいなんですが、夫の理解が得られず。。。ネガティブ夫は家のことは何もできないタイプだし、自分の両親が病気の時も冷たかった。
 
強行突破ということも考えたのですが、来年も夏休みに戻ってくるということで妥協しました。
 
もちろん、途中で何かあればすぐに戻ってこないといけないので、そのために長期のビザを今のうちに用意しています。父もかなり体にガタがきていますし。
 
 
7月に帰ることにした一番の理由は、入管から追加提出書類のお知らせがあり、夫が娘の日本滞在に同意する旨の書類を提出しないといけなくなったからです。魂
 
ほんと、イタイところを突いてくる。
 
 
前回書くのを忘れたのですが、何度か入管に問い合わせをしているうちに、最初は「定住者」での申請と言われていたのですが、結局は「日本人の配偶者等」での申請になりました。
 
(最初は夫の連れ子だと思われてたのか?父母とも血が繋がっていない特別養子だということを話したら変わりました。)
 
せっかく提出書類が簡単になったと思ってたのに、追加で娘の出生証明書と夫の同意書、私の預金通帳のコピーの提出も求められ、一瞬また崖から突き落とされた気分になりました。
 
預金通帳の方は、今回は介護のために戻って来ているため父が経済的に負担するということになっていると話し、それを文書にして提出することになりました。
 
申請の時に父も保証人になっており、父の住民票や税金関係の書類も提出済みでした。
 
これですんなり行ってくれるといいんですが~。絶望
 
 
あ、あと娘の帰化の方は、どうやら1年滞在した後申請して、さらに1年ほど審査の時間が必要らしく。。。諦めました。
 
本気で離婚する覚悟がないと、娘とずっと日本にいるのは無理みたいです。
 
娘は日本(幼稚園も)を気に入っていてずっとここにいたいと言っていますが、いつまで父が保証人になれるかも分からないし、私が経済的に自立しないことには無理なんですよね。
 
それに、うちの父と夫は結構似たタイプだから、夫が嫌で日本に帰ってきたところで、父と一緒にいたらまた同じことでイラっとするということにも気が付きました。ニヤニヤ
 
 
親が自分のことをできなくなっていくのを見ていると、自分もあと20年か30年でこうなってしまうのかと、あまりの時間のなさに愕然としてしまいます。
 
まだまだやりたいことはたくさんあるのに。。。
 
人生って短い。健康に気を付けて、せめて自分のことは自分でできるまま死にたいと切に願います。目標はピンピンコロリ。
 
 
 
 
先週の金曜は、幼稚園の遠足でした。
 
娘の通っている園は、親も積極的になんでも参加する方針なので、遠足も親子で一緒にでした。
 
バスの中でいろんな歌を歌って、子供たちかわいかった。飛び出すハートバスごっこ、遠足に行こう、お弁当のうた、バスにのって、などなど
 
インドにはこういう子供向けの歌が全然ないんです。英語のrhymesはやるけど、自分の言葉じゃないからあまり理解してない。雰囲気で歌ってるだけ。
 
これってとってももったいないことだと思う。絵本にしても同じく、現地語でみんなが知っているお話はないです。
 
日本は絵本も次から次に面白いのが出てくるし、子供にとっては天国のような国。
 
 
モルモットが可愛かった~。ラブ
ビデオ撮ってるつもりが撮れてなく、後ろ姿だけになっちゃった。
 
広場でお昼に集合し、お弁当の後遊びました。
 
小学生や他のこども園らしき子供たちもいてすごい人数だったのですが、日本だと気軽に他の人を入れて写真を撮ることが出来ず、寂しい感じになっちゃう。
 
日本では初めての外でのお弁当。スプーンフォーク天気が良くて気持ちよかった。
 
広い動物園で歩くのが大変だったけど、日本じゃないとこの歳でみんなでバスに乗って遠足に行くっていう機会はなかったから、とても良かったです。
 
大きくなっても覚えててくれるかな?
 
 
遠足の写真と、その前にも幼稚園から牛の乳しぼりに行ってて、その写真もインスタグラムに載せているので、良かったらフォローしてください。
 
@ribonchan521です。
 
 
本当にいい幼稚園に巡り合えたことに感謝。
 
認可外なのはこういう理由からのようです。
 
 
また来年の夏休みも、ここに戻って来よう。