映画『身代わり忠臣蔵』(ネタばれあり) | インド・アラビア雑貨と民族衣装店ジジ!(へナ&ジャグアARTスクール主催)

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こんにちは、こんばんは。

ブログのカテゴリーに『映画』というのを作ってみました。

気分転換が上手に続けられるように、カテゴリを作って、映画館へ足を運ぼう、と。

今日火曜日は会員サービスデーなので、先週封切された、邦画を観に行って来ました。

宣伝の時から、ムロツヨシと林遣都の掛け合いが面白かったので期待してましたが、

最後はサッカーかラグビーか?みたいなシーンもあり、やや不謹慎かつ斬新な時代劇に。

というか、一般的にはシリアスに描かれる年末恒例お約束の『忠臣蔵』が、あんなに明るく楽しく描かれてることに、驚き!!!

なんといっても赤穂浪士は、最後は全員死ぬ悲劇の最後を迎えるわけですからね。

ただ、「斬首」命令じゃなくて、「切腹」命令を出されたのは、現代から見るとどっちも死罪じゃ?と思うけど、武士としては大きく意味合いが違ったそうです。名誉の問題だそう。

これは結局、幕府側も落ち度(けんか両成敗の鉄則を無視した不公平な処分)を認めたということらしいですよ。

でもま、浅野家のお家お取り潰し処分はそのままでした。

一応、6年後に、広島の本家浅野家に預かりの身となっていた、相続人の浅野大学(切腹処分させられた浅野内匠頭の弟の子)が、旗本までは復活するので、お家再興?と、いえなくもないのかな?

 

事件は、元禄15年(1702年)の、お犬様で有名な、5代将軍・徳川綱吉の時代の話です。

余りにも有名な、松の廊下での刃傷沙汰。

「との!殿中でござる。殿中でござる。」という有名な台詞もここから。
江戸城では抜刀はご法度で、浅野たくみのかみへは、即日切腹の命が。

先週までフジTVで再放送してた、『大奥~華の乱』(将軍家を谷原章介、柳沢吉保役を北村一輝、みだい所を藤原紀香、側室でヒロイン役を内山里名)、の時代の話ですね。

(ーこれ20年前のドラマだけど、今みても面白いんですけど。)

映画では、将軍家を北村一輝が演じてて、笑ってしまった。

映画は楽しく拝見したんですが、こちらも史実が気になるところです。

赤穂浪士が首を討ち取って、主君の眠る泉岳寺に首をそなえに行ったところまでは、毎年12月になるとよく放映されてた『忠臣蔵』で、完全マスター済みですが、その後、敵であった吉良上野介の一族がどうなった?っていうのが気になりますよね。

この事件で上野介自身は、もちろん首をとられてますので、死亡(享年61歳)。

家督を継ぐ予定だった吉良の孫(息子から貰った養子)は、この事件で領地を召し上げられ、諏訪へ流され、その地で待機中に21歳で病死します。

亡くなったのは、事件から、2年1ヵ月後くらいの出来事ですが、事件から2ヶ月ほど、処分待ちしていた赤穂浪士たちは、吉良家が領地召上げと藩主の島流し処分までは存命中に聞いていて、満足していたそうです。

300年も悪者として語り継がれる吉良家の子孫て立場、しんどいなー。^^;

 

ところで“元禄”という元号は、大地震をきっかけに17年(1704年)で改元され、同年が“宝永”元年となります。

当時の改元(元号の変更)は、天皇の生死では無く、大きな天災があると“厄払い”として元号を変えたので、元号の変更が今よりずっと頻繁でした。過去から見た場合に、元号が変わった時は大災害が起きた時期、という目安にもなりますから、面白い。元禄から100年の間に、ざっと10回も元号は変わっています。

<元禄以降の元号の変遷100年分>

 

元禄(17年)=1688年→宝永(8年)→正徳(6年)→享保(21年)→元文(6年)→寛保(4年)→延享(5年)→寛延(4年)→宝暦(14年)→明和5年=1768年、、、

 

現代なら、天皇が10人入れ替わってる状態ですね。笑

当時は大体、大地震のたびに変えてたらしいので、地震が頻繁だったって証でもありますね。

地震雷火事親父、とか言いますが、地震と火事は江戸時代はセットだったから、当時の人の気持ちとしては、改元で魔よけに厄払い、して新たにがんばろう、というつもりだったんでしょうね。

それと、死体を塩漬けにするのも、映画の中ではたまたまのようにそんなシーンが出てきますが、当時は武士とくに主君が出先などで亡くなったら、塩漬け保存は普通のことだったらしいです。

腐っちゃうからね。

 

そして、赤穂浪士46人の処分待機中に、身柄を預かった有名な武家が4家(細川、水野、毛利、松平)あるんですが、結局切腹の沙汰がきて、預かってた武家屋敷のお庭で刑死したわけですよ。

(実際には切腹とは名ばかりで、一人当たり5分程度で頭をどんどん落とされたようですが。)

それらの敷地が現在は一部、心霊スポットとして有名になっていますね。

まあどことは言いませんが、昔のTV朝日、今は六本木ヒルズになりました。あ、言っちゃった!笑

この現場と、実は2・26事件も関係があったりします。余談ですけども。

 

というわけで、シリアスでもコメディでも、やっぱり時代劇は面白いなーと思う。

韓国のシリアスな時代劇も、一転して日本のコメディな時代劇も、どっちも面白かった。

もう一回観るなら、韓国の『梟(ふくろう)』の方をみたいかな。

忠臣蔵は、都内のゆかりの地を歩くことにします。ちょっと怖いけど、お散歩おさんぽ。