フランス植民地時代の影響とガソリンスタンドとお菓子 | インド・アラビア雑貨と民族衣装店ジジ!(へナ&ジャグアARTスクール主催)

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東京の神楽坂にて、インド・アラビア民族衣装と雑貨レンタル専門店+メヘンディ(ヘナ)アート/ジャグアタトゥのスクールを営む店主のブログ。衣装や雑貨は、CM、TV、映画、PV、雑誌などで実績多数。

続きです。

昨日、モロッコ伝統お菓子の紹介を少ししたのですが、今日は別のお菓子の紹介。

モロッコは、土地の歴史は長いのですが、現在の国「モロッコ王国」は、実は1956年に独立したばかり。

最終的な植民地支配をしていたのは、フランスでした。

地中海沿岸の北アフリカの中でも、最もヨーロッパに近いという地政学的な問題から、

欧州の干渉を受けやすく、古くは14世紀のポルトガルに始まり、その後、17世紀からスペイン、

最終的にはフランスと、常に欧州の影響下におかれました。

で、フランスから独立したのが、1956年と、割と最近の話です。

(1912年までは、半分がスペイン領(西サハラ)、半分がフランス領(西サハラを省く北側)でした。)

で、1956年に王政復古して、現在の国王のおじいさんが、ムハンマド5世として即位しました。

モロッコは元々ベルベル人(土着の人々。紀元は5千年前)がいて、そこに8世紀頃、アラブ人が到来。

モロッコのイスラム化が進みますが、人口は3600万人。比率は、アラブ6割、ベルベル4割です。

ところで、この影響で、モロッコの公用語は、アラビア語とベルベル語、第二言語がフランス語です。

つまり、モロッコとは、土着のベルベル文化とアラブ文化と欧州文化の三つ巴、といった感じです。

で、お菓子の話に戻ります。^^

下記は、フランス語で書かれた、フランスのお惣菜とお菓子たち。

お値段が、土地の相場から見ると大分お高いような、、、

クロック・ムッシュとか、キッシュとか。

下の段のチーズケーキみたいに見えるやつは、チーズケーキじゃなくて、フランですから。

フランは、フランスでメジャーな、カスタードケーキ。(私の大好物でもありますが)

おいしそうと思って覗き込んだものの、結構なお値段にびっくりしました。

「日本並みでは?」と。

これ、ガソリンスタンドに給油で立ち寄った際に併設されてたショップ(コンビにみたいな)にて、

販売されていました。ショップ名もフランス語だった。

ガソリンの値段はわかりませんけど、ドライバー料金に入っていたので。

でも、トイレ休憩も兼ねていたので、外国人観光客である日本人に配慮した場所を、

選んでくれていたんではないかと思います。

ここのトイレには、イスラム教徒のためのお祈りスペースが用意されていました。

日に何度もあるお祈りの時間のために、このようにトイレの横にお祈り場所が用意してある店は、

結構ありましたよ。その後なんども見かけました。

ーというわけで、フランス植民地時代の影響は大きく、関係は親密だそうです。

一方で、真上のスペインとは政治的には険悪です。

私に言わせれば、スペインもフランスもどっちもガリガリのヨーロッパなので、

差別意識も変わらんだろうと思いますが、スペインはフランスの侵攻によってモロッコを撤退し、

その後フランスはモロッコに譲渡して独立や王政復古も許したので、この辺が影響してますかね。

王室は親仏だそうです。

現国王は、母親がベルベル人で父親がアラブ人。

王妃(離婚したそうですが)は、ユダヤとアラブのハーフときいてます。

モロッコには、ユダヤ人が多く住んでいた歴史があり、大規模なお墓もあって、今年の春に、

アラブ全域を驚かせた国交の樹立は、そういった歴史的な背景があり、モロッコ出身のユダヤ人が

イスラエルには多くいるからだそうです。

モロッコは、イスラム教徒は多いですが、完全なるアラブではないからだといわれています。

イスラム=アラブではない、アラブ人は嫌い、というベルベル人は多いように思います。

国内には、土着のベルベル人を侵攻アラブ人が迫害してきた歴史があります。

現在は混血化が進んでいるし、そもそも見た目では全くわかりませんが。

というわけで、予断のお菓子の話の続きの余談でした。