「愛をよむ人(原題:朗読者)」2008年映画 | インド・アラビア雑貨と民族衣装店ジジ!(へナ&ジャグアARTスクール主催)

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東京の神楽坂にて、インド・アラビア民族衣装と雑貨レンタル専門店+メヘンディ(ヘナ)アート/ジャグアタトゥのスクールを営む店主のブログ。衣装や雑貨は、CM、TV、映画、PV、雑誌などで実績多数。

95年に出版されてベストセラーになり、10年前の2008年に映画化された「愛を読む人(原題は「朗読者」)
ケイト・ウィンスレットが主演のこの作品を、忘れられないのですが、今年は特によく思い出し、考えていました。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80%E3%81%B2%E3%81%A8

この話の舞台は第二次世界大戦後のドイツ。

15歳の少年と年上の女性は恋に落ち、よく部屋を訪れる彼に、彼女は本を朗読して欲しがり、彼は理由も知らずにそれに答えていた。

彼女は実は、“文盲”(読み書きが出来ない)で、そのことを誰にも隠していた。
“文盲”である事は、彼女にとって、“命をかけても”隠し通したい秘密、であったことが、彼にもいずれわかっていく。

あるとき、ナチの裁判で、署名をめぐり、彼女は罪をかぶせられてしまう。
文字が書けない事を正直に言えば、その疑いは簡単に晴れるのだが、彼女は、自分が文盲である事を法廷で告白することがどうしても出来なかった。

かつての少年は大人になり、その裁判を見ていて、かつて彼女が、レストランでメニューを出されたときに顔色が変わり様子がおかしくなった事や、自分に本を読ませたことから、ついに彼女が“文盲”だと気がつく。

彼がそれを証言して助ける事が可能だったが、どちらが彼女にとって辛いかを考え、彼女と同様に沈黙を守った結果、彼女は無期懲役刑となる。

その後彼は、確か偽名をつかって?文盲である事に一切ふれずに、郵便物を使って獄中の彼女に読み書きを教えるが、晴れて出所の当日、彼女は自殺をする。彼には手紙を残した。
 

ー読み書きが出来ないくらいで、と思うが、英国でもこの時代これが原因で実は殺人事件が起きている。
 

何がそのひとにとって命をかけても隠したい事にあたるかは、他人にはわからず、又、他人では助けられない、という事なんだろうか?ほんとうに?という話。


例えばこの映画なら、問題解決のためには、「自分は文盲だ」と正直に話し、無罪になって、文字をこれから習えば問題は解決するのに、人生を獄中で終わりで良いのか!?

しかしそれを言う勇気を出すには、まず「自分」と向き合わなくてはならない。

「自分が文盲である」と声にだして語ったり、行動にまで移すには、“隠すことで守っている自分”の殻を、まずは破壊しなくてはならない

法廷で判決が出る、というタイムリミットが迫っていたが、その前に勇気を出して、殻を破壊し、真実の自分の姿を告白する勇気は、彼女にはなかった。
驚くことに彼女にとっては、このまま事実を隠して無期懲役に甘んじる方が、楽だったということになる。

真実を告白すると心が壊れてしまうとでもいうのだろうか?

ー他人には理解できないが残念ながら本人にとってはそうなのだと?


ここでもうひとつの問題。

 

かつて少年だった彼は、この裁判で証言をして、彼女の命と人生を救う事も出来たのではないか?

本人が無理なら周りがサポートする事で、問題解決の糸口になることは?裁判官に耳打ちしていたら?
ー少なくとも獄中生活+自殺とは違う人生のオプションがあったように思う。


究極の現実逃避として、自分で自分の命を奪ってしまう位なら、周りが出来ることは無かったのだろうか?

 

どうしたら良かったんでしょうねと、考えてしまうのです。

もっと良い結末になってほしいと。幸せな人生をやり直して欲しいと。