今日、ドキュメンタリー映画「夢と狂気の王国」を観てきました。
内容ウンヌンの前に、皆さんに見て欲しいものがある。
まず、このドキュメンタリー映画を公開している劇場が少ないことを知って欲しい。
有名なスタジオジブリそのものを、題材として作られた、初めての映画だというのに。
わかりやすい比較として↓
「風たちぬ」の上映館は、東京で、22ヶ所。全国で、240ヶ所以上。
「夢と狂気の王国」の上映館は、東京で、3ヶ所?全国で、20ヶ所のみ。
この映画のポスターには、「原発の電気はいりません」と描いてあり、映画のなかにも政治的発言がありまた、公にも「原発反対」「戦争反対」「憲法9条を存続」の意見を明確に出している。
映画の上映箇所が少ない理由は、なんだろうかと考えてもらいたい。
これほどのドキュメンタリー映画が大手マスコミにとりあげられない理由を。
また、「夢と狂気の王国」とは、どういう意味なんだろうか?
何をさして、“狂気”だと言っているのだろうか?
夢というのは、なんとなく、スタジオジブリそのものが、夢を具現化した空間という気がするけれども、狂気って、何をさしているんだろうかと。
で、このドキュメンタリー映画が訴えてくるものが色々あるけれど、一つの重要なメッセージ、もしくは警告として、
「色々なことが発言できなくなる世の中が到来するかもしれないよ、戦時中のようにね。」
というのが、ひとつのメッセージのように思う。
「だって、もう、はじまっているからね・・・。」
とも。
今時、セル画でいちいち描こうとするのも“狂気の沙汰”かもしれないが、自分たちのように有名な商業アニメを作る会社が、政治的な発言をすること自体、“狂気の沙汰”だということも、ひっかけているような気がしてなりません。
「風の谷のナウシカ」が、アニメーションというツールを使って、メッセージを送り続けることの最初の作品だったように思うけれども、もはやアニメというツールだけでは、現実のおそろしい問題の進捗の早さに対する警告として追いつかなくなってきて、ついには、直接自分の言葉で発信せざるをえなかったのではないかという気すらします。
ドキュメンタリーの中には、映画創作にかける情熱や、運命的なもの=「人生の不思議」についても、丁寧にその軌跡をたどってあるけれど、その中に、失いたくないもの、守ろうとしているもの、おそれているもの、などが散りばめられている気がして、何気ない日常であったろうシーンのディーテールには、心がしめつけられるような気持ちがしました。
宮崎駿監督には、自分の寿命を譲っても長生きして欲しい。自分の愛しているこの国のため、彼のような人に、長く生きて欲しいと思います。