思うんです。
寒さをしのぐ場所をさがし、何とかしてご飯を食べ、生きなきゃと。
寿命を全うすることは、生き残ったものの義務のように思うのです。
心の痛みをかかえたまま泣きながらでもいいから、生きなきゃと。
病気で生きられない人もいる、突然の事故や天災で命を落とす人もいる。体が生きてても心が壊れる人もいる。死んだほうが楽だという人も、実際いると思うけど。
自分の命もそうやって奪われる時がくるまでは、強く生きなきゃと、思うんです、最近ね。
本当に不思議なものですが、自分を必要とする人達がいるかもしれないと思うと、心が折れている暇が無いような気がして、もっと強くならなくては、もっともっともっと、強くならなくては、と、思うんです。これは最近の傾向なんですけどね。
先月だったか、まだ若いシングルマザーに、泣いて抱きつかれた事があったんですが、自分よりも弱い人達が沢山いるのを感じる、今日この頃です。
私は元々強い人だけど、誰かを守るには、もっともっと強くなり、もっともっと大きくならないといけないと。
それから、「生きる」ということについて言うと、震災の影響はもちろんありましたが、その他に、民教協スペシャルの「生きることを選んで」という番組の影響あったと思います。
これは、難病・筋萎縮性側索硬化症(ALS)の闘病を続ける元テレビ報道記者・谷田人司さんの闘病と活動の記録ドキュメントで、生きる事と家族の絆をテーマにしたという番組でしたが、この病気、最終的には、全身動かなくなるのに脳だけ正常という、恐怖の「閉じ込め」という状態になるのです。
体中の筋力が衰えて外向きに何も発信できなくなっても、脳が生きており感情があって、誰とも意志の疎通を図る事ができないにも関わらず、孤独に生きている状態になります。
自分の、何一つ動かせない体の中に、感じたり考えたりできる健全な脳だけが、とじこめられた状態で生きるという恐怖。
患者の8割は、人工呼吸器に入る段階で、はずす(死ぬ)ことを選ぶそうですが、それも、当然かと。誰も見たことのない死の世界のように、自分の体に生きながら閉じ込められるという恐怖を思えば。
だから、病が進んだ時に、死ぬ事を選択するのも、生きる事を選択するのも、地獄のような2択だと思いますが、私なら、絶対に死ぬ方を選びます。その状態で生きるのは怖すぎます。
ただ、そういう病気になって、生きる事を選んだ人がいて。
それはものすごい衝撃でした。
閉じ込めの恐怖はいかほどか、途中でやっぱりもう死にたいと思っても、それを外に向けて発信することすら出来ない恐怖を思うと、どうして生きる事を選択できるのだろうかと。どこからそんな勇気が、と。
そして、この谷さんが、こういう病になっても生きる事を選択したのには、元気だった頃に記者として取材した癌患者の人達の生き様が、影響を与えていたとの事でした。
この番組を見た今でも、もし自分がそういう状態になったなら、死ぬ方を選ぶ事には変わりありませんが、現時点で健康体である私は、どうしても、強く生きなくてはといけないと、そう思わせられました。
それは、この元記者からの強いメッセージが、何らかの影響を私に与えた結果だと思います。
震災のとき、死ぬと思いましたし、明日が平穏に来るとは、もう信じられなくなりましたが、毎日毎日、命がある限りは、何とかして、この体に、餌を与え、歯を食いしばって生きなくてはと。そして、自分よりも弱い人達を守るには、もっと強くならなくては、と、思うようになりました。
そのために、毎日まいにち、ちょっとずつでも自分を増強し、前進しようと。
その私の足を、ある日、病か事故か天災にとめられる、その日まで。