石岡瑛子さん(デザイナー) | インド・アラブ雑貨と民族衣装店ジジ!(へナ&ジャグアARTスクール主催)

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東京の神楽坂にて、インド・アラブ民族衣装と雑貨レンタル専門店+メヘンディ(ヘナ)アート/ジャグアタトゥのスクールを営む店主のブログ。衣装や雑貨は、CM、TV、映画、PV、雑誌などで実績多数。

地球の裏側・南米はブラジルのリオで、今年もカーニバルが始まった模様ですね。

(まあ、正確に真裏だと、大西洋にどぼん! ^^; ですけどね。)


東京は、立春をすぎたというのに今日も鬼のように寒くて、夕べは雪まで降りました。

そして、地震も相変わらずです。


地球儀を見るのが好きなんですけど、ぼーっと見ていると、地球は広いのに、日本、ちっさいなあ~なんでこんな小さな島国に、執着してるんだっけ?とか、時々思います。

まあ、特に能力も無いのに世界中に旅できるような身分(先進国)に生まれたので、恵まれすぎてて、快適で、それに比べて外国は住み心地悪すぎて、ここから出ようと思わない、というのが、本音なんですけどね!


でも、快適だけど日本では舞台が小さすぎて、出て行って勝負する人は、居ますよね。


最近だとダルビッシュ?-彼は、結果がどうなるかまだわかりませんけど、先月亡くなった、デザイナーの石岡瑛子さんみたいな人は、やっぱり、自身の持ってる力があまりにも大きくて、この小さな島国では、舞台として小さすぎたんだろうな、という感じがすごくしました。

インド雑貨専門店主ブログ 特別な能力を持つ、選ばれた人っていうのは、やはり居て、何かをなすために、その力に相応しい舞台、そして運命に、導かれて人生を生きて行くんだろうなと。


石岡瑛子さんは、日本だと、ワダエミより有名じゃないと思います。
アメリカでは、訃報がトップニュースになるくらい有名でも、活動の拠点がアメリカなので。

職種は、プロダクション(美術)デザイナー。映画やミュージカルのコスチューム衣装を数多く手がけていました。

昨年、NHKで放映されたドキュメンタリーを見て、「こんな日本人が居たんだ?」と、とても印象的な女性でした。アカデミーの常連、オスカー、グラミーの実績もさりながら、70代で現役ばりばり。
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番組取材中は、ブロードウェイ・ミュージカル「スパイダーマン」(現在、上演中)の衣装を作ってる最中でした。制作予算は史上最大の50億。

このとき、番組中では71歳でした、放映された頃、72歳だとして、なくなった今年が、73歳。

きっと、訃報に、スパイダーマンの舞台では、全員黙祷したんじゃないかと。


この番組取材中にオファーを受けてた「白雪姫」(実写版)は、今年の3月公開ですから、制作ができたのか、途中で降りたのか、わかりませんが、最後の仕この電話を受けた時には、誰もが思いも寄らないほど、人生の残り時間が少なかったという事になります。

きっと既に病魔が近寄っていた。でも、このときは非常に元気で、番組の中では、「まだ旅の途中だからね。きっと死ぬまで走り続けるんだろうね。自分に興味がありますけどね。」と、語っていたので、まだまだこれから、どれだけ活躍してくれるかと、頼もしく見ていたものです。それが・・・

ご本人にも本当に思いがけない発病だったのではないかと思います。

2008年の北京オリンピックで、開会式の衣装デザイン2万点をデザインしたあと、時間的には、引き続きブロードウェイで、3年かけて準備してた、スパイダーマンの制作が、2011年の番組の中の段階で、仕上げにかかっていた。

そして、次に、ハリウッドから「白雪姫」のオファーがきていた。
インド雑貨専門店主ブログ 海外の第一線でこんなに活躍してる日本人、しかも女性が居るとは、と、本当に嬉しかったんですが、今年の、なんと先月、急に亡くなってしまい、本当に、信じられません。
去年、番組取材中にオファーを受けてた、白雪姫の公開は、アメリカでこの3月の筈だから、アメリカで仕事してたんじゃないの???と、思ったら、いつの間にか帰国していて、東京で、すい臓がんで、亡くなったそうです。

癌なんかにならなければ、まだまだ仕事してた筈なので、本人どれだけ無念だったろうかと思います。

非常に非常に残念です。

こんな人もう二度と現れないかもしれないのに。

で、番組が再放送されたのを録画したので、それをBGMがわりに年中つけていて、多分その影響で、最近、メヘンディをがつがつ描いてるんだと思います。クリエイティブな気分になったっていうのでしょうか?

死んでも他人に影響を与え続けるって、すごい力ですよね。


ちなみに写真は、92年に公開された映画「ドラキュラ」で、石岡瑛子さんがオスカーをとった時の衣装の数々です。このとき、50歳位のはずです。
インド雑貨専門店主ブログ その映画、私は当時学生で、リアルに観に行ってて、珍しくパンフレットも買っていたので、よく覚えていました。

ストーリーは、正直ぱっとしない映画で、今でも評価が低いと思います。

でも、音楽が良かったのと、衣装や映像が少し変わってたので、CDと、珍しくパンフレットも購入しました。

監督は、フランシス・コッポラで、キャストも、アンソニー・ホプキンスやウィノナ・ライダー、キアヌー・リーブスなど、豪華陣でしたが、キャストの個性は映画の中では特に光らず、映像的に、部分的に印象的なシーンがある、という感じの作品でした。

原作は、古典(19世紀の原作)からとってるのですが、時々、ヨーロッパなのに、中国っぽいというか。

そしたら、衣装デザインが、日本人だったのです。名前はすっかり忘れていました。


(そのあと、スターウォーズの衣装が、やはり日本ぽかったり中国っぽかったりしたので、てっきりこの人の衣装デザインかと思いました。日本の衣装を参考にしたと言われてるそうです。)


92年の公開なら、2012年の今年は、あれから20年経つわけですが、あれでオスカーをとった後も、現役で第一線を走り続け、2008年の北京オリンピックの衣装2万点を手がけていたとは、インド雑貨専門店主ブログ 全然知りませんでした。
日本では、そのこと、大きく報道されなかったのではないでしょうか?
気が付かなかったのは、私だけ???
北京五輪については、開催前から、アメリカの高名な映画監督が、企画を降りた、とか、ネガティブ情報を大きく報道する傾向があったので、日本なりの、中国への微妙なコンプレックスか何かが、この、日本人デザイナーの北京五輪への協力と活躍を、報道させなかったとか?

しかし、中国は偉かったと思います。
国家の一大事に、中国人デザイナーの器用だって出来た筈なのに、重要なオープニングの衣装を、わざわざ日本人のデザイナーへ発注したあたり。実力で選んだ、という事だと思うので。


しかし、絶対にあと10年は、現役で仕事できたはずなのに!と、非常に悔しい思いがします。


70歳すぎての取材・ドキュメンタリーの際に、自分は死ぬまで、目隠しをされたウマのように、走り続けるんじゃないかと思う、と、言っていました。

この人生において、なすべき何かを持ってる人だったんだと思います。


成し遂げてきた仕事の実績も素晴らしいものがありますが、私が一番心を動かされたのは、なんとなく、そこではないのです。


何をしても「女だからさ」と、色眼鏡で見られ、仕事と結婚する覚悟で打ち込み、30代後半には、日本では第一人者になっていた人が、40を目前にして、会社をたたみ、渡米して一年間さすらった。

仕事を一旦中止した理由は、「夜寝る前に、あるはずの、充実感がなかった。仕事は順調なのに、自分は抜き差しならない状態に陥っていた。何がデザインしたいのか解らなくなっていた。」


このあたりが、やはり、彼女の才能が特別な何かだったことの暗示なんじゃないかと思いました。

商業的に完全に成功しているのに、持っている力が、それだけでは満足せず、それ以上の力を発揮したくて、場を求めていたんではないかと、思うのです。


そうして、自分の心のうちなる声に従い会社をたたんで、何の予定もなく渡米したことで、道がまた開いていく。というか、そういう風に、導かれているんだろうなと。

人は、その人が持ってる力に相応しい活躍の場を、与えられるように出来ている、という事なのかなと。


ただ、こんなに急になくなってしまい、本人も無念だったろうし、本当に非常に残念としか言いようがないです。


手塚治虫が、病室でなくなる直前まで漫画をかいてた事を思い出しますが、使命がある人って、おちおち死んでられないというか、きっと、もっと時間が欲しかったでしょうに。


尊敬をこめて、ここにしつこく書いてみました。

第二、第三の、石岡瑛子さんが出てくることを、心から願いつつ。



ご冥福をお祈りいたします。



(いやもー。ぜったい寝てられない気分でしょうが。)