落ち込みきって、疲れきってしまった心に対して、劇的に効果のあるものは、この世にないのではないかと思います。というのは、そのような心には、例えて言うなら、既に膜のようなものが張ってしまっていて、目の前に在るものごとを、その在る通りには、なかなかうまく感じることができないからです。
私の場合、四年間程は良いと言われる映画を見ても、本を読んでも、音楽を聞いても、少しも心が安らかになったり、軽やかになったりすることはありませんでした。
むしろ、これらをした直後は、刺激が強すぎたのか、無理をし過ぎたのかはわからないけれど、よりひどい状態になってしまいました。
でも、そのような繰り返しの中で、知らず知らずのうちに、私の心の膜は、少しずつではあっても、薄くなってきていたようでした。
今では、まだ心がうまく働かないこともあるけれど、多くの場合、外部のものごとに対して好意的に集中することができるようになりました。
自暴自棄になり諦めそうになったこともあったけれど、自分の心にとって良いと思うことを、自分の心で判断して、少しずつでも繰り返しやり続けたから、今、私はこうしていられるのかなと思いました。
私の場合、四年間程は良いと言われる映画を見ても、本を読んでも、音楽を聞いても、少しも心が安らかになったり、軽やかになったりすることはありませんでした。
むしろ、これらをした直後は、刺激が強すぎたのか、無理をし過ぎたのかはわからないけれど、よりひどい状態になってしまいました。
でも、そのような繰り返しの中で、知らず知らずのうちに、私の心の膜は、少しずつではあっても、薄くなってきていたようでした。
今では、まだ心がうまく働かないこともあるけれど、多くの場合、外部のものごとに対して好意的に集中することができるようになりました。
自暴自棄になり諦めそうになったこともあったけれど、自分の心にとって良いと思うことを、自分の心で判断して、少しずつでも繰り返しやり続けたから、今、私はこうしていられるのかなと思いました。