自分に軸を置くとは自分の声を聞くこと
自分の声とはウニリヒピリなのではないか・・
子供の頃の私はめちゃパワフルだった。
自分の気持ちのおもむくままに遊び、大好きな友達に囲まれて夢中で遊び
面白いと思うことを手当たり次第にやり、なおかつ探し出したり発案したりしながら
本当に時間を忘れ遊び回っていた。
友人宅には臆せず訪問し、あらゆる人の家に遊びに行った。
学校から帰ったら家の前で遊ぶか友人の家に行くか・・
高学年になると学校から帰ったら
直接プールに集合したりスケートセンターに集合したりして遊んだ。
中学の頃は部活に夢中になりながら友人とじゃれ合っていた。
それがだ!高校に入ったら強烈に自我に目覚め
自分と人を比較するようになった。途端に自分を閉ざした。
その強烈な閉ざし方と言ったら笑っちゃうほど、誰も好きじゃない・・みたいな。
今は笑えるけれど、当時はそのことを悩んでいたので、
倫理社会の時間に配られたアンケート用紙の最近思うことって言う問に
「自分は人と上手く交れなくて悩んでいる、どうすればいいか、」と言うようなことを書いたら
戻ってきた用紙に先生より一筆書き添えてあり
「それが自我に目覚める、大人になると言うことです」とだけ書いてあった。
子供だった自分は具体的な解決策が聞きたかったので
それを見て本当に絶望した。( 本当は書き添えてくれたことが涙・・なのに )
そんな時期を経て、大人になって社会で揉まれ今普通でいられるのですが
何が言いたいかと言うと、無邪気だった小学生の頃は
自分のパワーを100%出してフル回転させていたし、
自分を信頼し迷いがまったくなく自分の軸が自分の中心にあった。
いや、信頼や迷いなんて言葉さえ知らなかったし
ましてや自分の軸が自分の中心に・・なんて微塵も考えず
ただ目の前の楽しい!!に夢中だっただけ。
ハッピーちゃんの言うところの100%内側を向いている状態です。
一方、高校生の私は、人の目を気にしていつも周囲と比較して
自分にダメ出しをしていて外側を向き、内側がスカスカな状態。
力が出ずぼんやりしてしまうわけですよね。
今、やっと客観視できます。まるで別人。
それでまた中年になった今、小学生の頃に戻ろうとしています。
自分の中の純粋なその子は、きっとあの頃のままの欲求を持っているはず。
ホ・オポノポノで言うところのウニリヒピリ
純粋でキラキラしていていい笑顔でみんなに優しくて
みんなで楽しんで自分も楽しい!!素晴らしい時間
毎日が全力!!全力で遊ぶ!!今日はどんな楽しいことをしようかな、と知恵をしぼる。
本当に素晴らしい時間だった!!
目指すはソコだ!自分が幸せになればみんなも幸せだ!!!
楽しもう!楽しむぞっっ!!!![]()
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