~参考~
災害対策/流砂や底なし沼から抜け出すコツ

~武術家に学ぶ「宿命との闘い」⇒『静は動を制する』

~参考~
〔 武術家に学ぶ「宿命との闘い」~『静は動を制する』 〕

 

 

 

 

 

 

 

〔1日「比叡山延暦寺」渡部光臣住職(48)

2009年~「十二年籠山行」満行/戦後7人目〕
延暦寺によると、

最澄が十二年籠山行の制度を制定し、

1200年以上続くとされる。

織田信長の比叡山焼き打ちで一時中断されたが、

江戸時代に復興した。
十二年籠山行は

最澄の廟所である浄土院にこもり、

毎日午前4時から読経するなどの修行を12年間休まず行う。

新聞やテレビなど情報を得る手段もなく、

世間から隔絶されているという。

 

 

 

 

 

参考

 

 

【共同通信】
〔延暦寺僧12年の修行を満行 世間から隔絶、戦後7人目〕
(2021年4月1日)

 

~参考~
江戸前期修験僧「円空」/(推定約12万体の仏像を彫り)

最期は自らを生きたまま仏に~即身仏(64)

 

~参考~
生命精霊の樹「トゥーレの木」(メキシコ南部教会内)/

樹周約36m世界最大巨樹、樹齢約1500年超

~参考~
四苦八苦/現世の苦を軽減するためには(人界と

表裏一体の)修羅現実をあるがまま受け入れるしか術なし

 

~参考~
ドキュメンタリー映画

【円空 今に生きる(2012/日)】

amazon prime video

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

円空(1632年~ 1695年8月24日)は、

 

 

~参考~
修験者「円空」、和歌1200首を残す

 

[北海道 1965-1966(昭和40-41年)]円空とアイヌ

円空の神通力

円空仏に見る仏の教え いちのみや大学講座

 

参考

 

 

 

参考

 

 

 

 

 

 

~参考~
インドで11歳~80年間不飲不食のヨギ(ヨガの行者)

プララド・ジャニ氏26日死去(実年齢90歳)

 

 

 

 

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〔80年も飲まず食わず? インドのヨガ行者が死去、90歳か〕
(2020年5月26日 AFP通信)

 

~参考~
飢餓の限界⇒「カニバリズム」⇔「即身仏」/

凄まじい飢餓地獄で人肉に手を出さざるをえない地獄絵図

 

参考

 

参考

 



参考

参考

 

 

 

 

[日本]

日本には

綏靖天皇が七人の人を食べたという故事(『神道集』)

をはじめとして、

伝説の酒呑童子説話中の源頼光一行や、

安達原の鬼婆の家に立ち寄った旅人など、

説話にカニバリズムが散見される。

「遠野物語拾遺」第二九六話と第二九九話には、

遠野町で5月5日に薄餅(すすきもち)を、

7月7日に筋太の素麺を食べる習慣の由来として、

死んだ愛妻の肉と筋を食べた男の話が記録されている。

また、中国のカニバリズムにある割股の話は、

日本にも類話が見える(『明良綱範』)。

『信長公記』によると、

戦国時代に織田信長の武将・羽柴秀吉が

鳥取城を兵糧攻めした際、

城の兵たちは草木や牛馬を食べ尽くした末、

城を脱走しようとして

織田軍に銃撃されて死んだ人間を食い争ったとある。

随筆『新著聞集』では、

江戸時代の元禄年間に増上寺の僧が、

葬儀にあたって死者の剃髪をした際、

誤って頭皮をわずかに削り、過ちを隠すために

それを自分の口に含んだところ、非常に美味に感じられ、

以来、頻繁に墓地に出かけては墓を掘り起こして

死肉を貪り食ったという話がある。

戊辰戦争の折には幕府側総指揮官松平正質が

敵兵の頬肉をあぶって酒の肴にしたといい、

また薩摩藩の兵が死体から肝臓を取り胆煮を食したという。

確実な記録には、

江戸四大飢饉の時に人肉を食べたというものがある。

また天明の大飢饉の際には

1784年(天明4年)弘前で人食いがあった

と橘南谿が『東遊記』で述べている。 

 

 

 

【野火(1959)】

 

【野火 (2014) 】

【軍旗はためく下に(1972)】

 

[日本~戦争中の人肉食]

太平洋戦争中南洋や東南アジア戦線

(インパール・ニューギニア・フィリピン・ガダルカナルなど)

の日本軍では、

補給が慢性的に途絶したことで大規模な飢餓が頻繁に起こり、

死者の肉を食べるという事態が発生した。

グアム島では

敗走中のある陸軍上等兵が逃避行を共にしていた

日本人の親子を殺害してその肉を食べるという事件が発生。

事件の目撃者がアメリカ軍にこのことを密告したため、

上等兵は戦犯として逮捕され、アメリカ軍により処刑された。

1944年12月にニューギニア戦線の第18軍司令部は

「友軍兵の屍肉を食すことを罰する」と布告し、

これに反して餓死者を食べた4名が銃殺されたという。

また、ミンダナオ島では

1946年から1947年にかけて

残留日本兵が現地人を捕食したとの証言があり、

マニラ公文書館に記録されている。

なお、連合軍兵士に対する人肉食もあったとされるが、

多くが飢餓による緊急避難を考慮され、

戦犯として裁かれることはなかった。

一方で、

処刑したアメリカ軍捕虜の肉を酒宴に供したとされる

小笠原事件(父島事件)では、

関係者がBC級戦犯として処刑されている。

罪状には人肉食は含まれず、

捕虜殺害と死体損壊として審理された。

ただし、当時現場に立ち会っており、

この事件が弁護士活動の原点になったという、

元日弁連会長の土屋公献は事件について証言し、

人肉食などの事実は無かったとして

事件の内容について語気鋭く否定している。

ただし、土屋は強い反米思想の持ち主であることに

留意する必要がある

1944年の北海道では、

難破した徴用船の船長が死亡した船員の遺体を食する

「ひかりごけ事件」が発生した。 

 

【ひかりごけ (1992) 】

 

 

~参考~
〔 『 即身仏 』~

(「ナルシズム」と対極をなす)究極の「自己犠牲」形態 〕

 

 

 

 

 

 

 

 ~森敦が描いた小説「月山」の舞台~

  =(恵眼院)鉄門海上人の場合=

 

 

 

 

=(大日坊)真如海上人の場合=