特に組織&特定集団に属している人

ほど肌身で感ずる

日本社会で自己(正論)主張する際に

究極的には生存領域を侵害する程の

息苦しさを感ずる本質的核心的事項とは?

度が過ぎた「場(集団)の空気を読め」的

過剰な無言の集団的陰湿圧力

 

 

~参考~
〔閉鎖的日本民族/「臭い物に蓋をする」

部分社会においても徹底した自己保身型「精神的鎖国主義」〕

 

【武田邦彦 テレビじゃ言えないホントの話!】

〔【日本社会】まともな人ほど ぼっち になる理由。
ぼっち経験者の私がお話しします〕

(2019年2月14日)

 

~参考~
 

絶対的「自由」(「ナルシスト」傾向)

  ⇔相対的「自由」(相対的価値観の基本)

*社会的「自我」の確立(共生&共存「(人権)平等」社会の本質)

  ⇔「自由の放棄(服従)」(自由からの逃走)

 

 

 

 

 

参考

参考

参考

 

 

特に自我の確立されていない人間(個人or大衆)に

無制限の自由を与えることによって、

一瞬の歯車の狂いによって

容易に「凶器or暴動等」(反社会的or反道徳的行為)

に変貌する。

従って、

最低限の社会的秩序(「他者の人権」の保護)のためにも

自由に対する社会的制約としての必要性は当然存する。

(近代市民社会の最低限のルール)

特に凶悪犯罪等も含め治安が不安定な今日のような

混沌とした世相においては

個々人の「自由」概念も迷走しやすく、

とりわけ

最低限の倫理&道徳さえ逸脱(暴走)する傾向が強い。

人は本質的に「自由」を求めつつも、反作用的に、

その本来的「自由」から逸脱(自由からの逃走」)し、

「社会的制約」(支配&服従)を潜在的に求めるという

相矛盾した中で暮らしているのである。

それだけ、

特に今日においては個々人が

「自由」の本質を再考すべき時代と言えるであろう。

真の「自由」を継続することは容易な事ではないのである。

また、「自由」を論ずる以前に、

自我の確立&社会的責任の覚悟

が絶対条件であることは言うまでもない。

 

 

自由からの逃走とは
エーリヒ・フロムによって著された
書籍の名称、および自由が与えられた
大衆の行く末に関する概念のことである。

[概説]

これはナチズムに傾倒していったドイツを
考察したことから生み出され、
国民は何が原因であのような状況となり、
また何に導かれてあのように進んで行ったのか
という内容である。
ここで
このような状況を生み出すこととなった
根源として考えられたのが
「自由」である。
当時には
自由というものは
全ての国民に与えられていたがゆえに
あのような状況を生み出すこととなったわけであり、
そのことが批判されており
社会そのものが自由の意味を履き違えていた
ということであった。
自由というものは
本来は
それが与えられることに対しての
孤独や責任を受け止めるということが求められる
わけであり、
その覚悟を持った上で
自由を希求して得た者によって構成される社会こそが
望ましい社会の形態といえるわけである。
だが当時には
孤独や責任を受け止める覚悟を持たずとも
全ての人間に対して自由が与えられており、
その時に自由が与えられていた大衆というのが
自主的に孤独や責任を受け止める覚悟を
持とうとすることもなく、
自身の幸福を追求することのみの人生を送っていた
ということから国家そのものが
あのような状況へと進んでいったというわけである。
また当時の国民は
自らが希求して自由を得たということではなく、
自由を得るということが義務づけられていた
ということも
自由の意味を本来とは履き違えていたとされている。
本書は
自由について書かれており、
自由と孤独について書かれているが、
自由であることに
義務や責任を受け止めるべきたということは
書かれてはなく、
人間の意識と無意識について、
歴史的な出来事などから考察している。
自由であるには
義務や責任を受け止めるべきだという説とはむしろ逆で、
義務や責任は社会的な常識や期待に関わることであるが、
自分が考える思考、感じる感情や欲求や意思が、
社会的に周りのひとから期待される
社会的常識などによる思考や感情や意思や欲求で
形成されていて、
本当に自分自身に由来するものなのか
を問いかけている。 
無意識的な欲求を否定し抑圧することで起きている
心理的そして社会心理学的な現象についても
書かれている。
自由から逃避するメカニズムとして
権威主義的性格 ・破壊性 ・機械的画一
などが書かれている。
本書は
性格の仕組みやメカニズム
そして心理的な要因と社会的な要因の交互作用とは
なにかどんなかについての
広範囲の研究の一部で、
主に自由についてがテーマになっている。
社会過程の力学を理解するには、
個人の心理的過程の力学を理解することで
理解できることをポイントにしている。
社会過程での
個人の心理的過程について強調されていて、
これは
フロイトの発見、人間の心理に
無意識の力が作用していて、
その無意識的な作用は
外界の影響を受けていることの発見に基づいている。

自由を2種類に分類している。

~からの自由と、~への自由という2種類。 

~からの自由は

第一次的絆、

たとえば

親子関係で言えば子供を親と結び付けている絆や、

中世で言えば封建制社会など社会的な制度的な絆

などで、そこからの自由などを意味する。

~への自由は

個人が個人的な自我を喪失することなく

個人的な自我を確立していて、

思考や感情や感覚などの表現ができるような状態を意味する。