〔第15回廃炉・汚染水対策福島評議会〕

(2017年9月29日 福島市)

https://www.youtube.com/watch?v=BDfstZ_vESg

増田尚・宏福島第一廃炉推進カンパニー最高責任者

2号機『圧力容器』真上の現線量:880mSv/h(MAX)」

 

参考

 

 

~参考~

〔「福島の放射線量上昇」情報、米の学会が火消し 〕
(日本経済新聞 2017年2月9日)
【ワシントン=共同】米原子力学会は
2017年2月8日までに、

東京電力福島第1原発について

「多くのメディアが発電所の放射線量が上昇したと伝えているが、

明らかな間違いだ」とする意見をホームページに掲載した。

意見は学会員からの投稿。
東電は
 2017年2月2日、2号機の原子炉格納容器内の調査で、

線量が最大で毎時530シーベルトだったとの推計値を発表した。

これを報じたインターネットの英文ニュースの中には、

建屋の周辺などで観測結果が最近になって上昇したように読めたり、

「専門家も『想像を絶する』としている」などと

不安をあおるような表現を使ったりするサイトがある。
意見は

「格納容器の内側で、これまでで最も燃料に近い場所の線量を初めて推定したもの。

燃料に近づけば数値が上がるのは当然だ」と指摘。

「過去に観測が行われた場所で線量は増えていない」と冷静な対応を呼び掛けた。
毎時530シーベルトという数値についても
「想像を絶するほどではない」とした。

チェルノブイリ原発事故では、

溶けた核燃料の近くは「100シーベルト以上」とみられていることや、

1950年代に炉心に穴が開く事故を起こした水性均質炉のケースでは、

実際に1000シーベルトを計測したことなどを紹介した。

 

【「脱被ばくネット」&「ふくしまと全国の集い」共催】

〔福島2号機の放射能漏れが続き

東京都内の放射線量の平均値が最近でも上がり始めている〕

~山田國廣氏(環境学者/京都精華大学名誉教授)

(2017年6月24日)

https://www.youtube.com/watch?v=ublW9pUWOTg&t=3107s

資料①

資料②

 

 

 

<東京・講演会「被ばく被害 そして、その先にあるもの」>
〔福島原発2号機の放射能プルームは今も全国・世界へ拡散中〕
(2017年6月24日)
[人民新聞 2017年7月17日]
~地球規模の人類と環境への破壊~
環境学者・山田國廣さん(京都精華大学名誉教授)
が熱く語った。
「専門家に任せていてはダメだ。
一人一人が自分で調べ、自分の頭で考え、
発言していくことが大事だ。
自分は環境学者だから、現場に行き、測り、原因を探る。
福島原発2号機から、
放射能は全国に今も降り注ぎ、被害を追加させている。
事故から6年を経て、
各地の平均放射線量を確実に上昇させている。
全国各都市で測定される公的データから、
スパイク(山形の変動)を導きだし、
2号機からの放射能の放出を解明した。
その結果
東京都新宿区の健康安全衛生センターの日平均放射線量は、
3月半ばから急激に上がっている。
自分の住んでる市町村で出しているモニタリングの数値を、
半年や1年分集めてグラフを作ってください。
放射能汚染が増加しているかどうか、
人任せでなく自分で確認すること、
そうすることで、自分の問題になる」と呼びかけた。
山田さんの資料によれば、
福島からの風で山や川を伝って
西日本や北海道まで放射能は広がり続けている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
~参考~
~放射線量と放射性物質濃度が一時ピークに〕
(Business Journal  2014年7月4日)
 
 
2011年3月15日午前10時、
東京にはおびただしい種類の放射性物質が一気に降り注いでいた――。
東京電力福島第一原発事故による東京都内の放射能汚染について、
京都精華大学の山田國廣名誉教授(環境学)が
一般にはあまり知られていない公的な測定データを掘り起こし、独自に分析。
放射線量と放射性物質濃度が極めて短時間、
かつ同時にピークを迎えていたことを明らかにした。
「その時間帯に屋内、屋外のどちらにいたかで
内部被ばくの影響がまったく違うだろう」といった教訓を、
今後の原発事故の避難計画などに生かすべきだと呼び掛けている。

 

●3月15日10時台に降り注いだ「テルル」系核種

山田名誉教授は福島の福島市や郡山市、飯舘村などで

住民参加による除染を試行しながら、

原発事故直後の初期被ばくについてあらためて研究。

福島と比較するために東京の情報を収集したところ、

ある研究機関のデータに行き着いた。

東京都立産業技術研究センター(産技研、本部・江東区)が

11年3月13日から測定していた大気浮遊塵(じん)中の放射性物質濃度などのデータだ。

産技研は世田谷区にあった旧駒沢支所の敷地内で、

集塵装置の濾(ろ)紙を用いて大気中の塵(ちり)をピーク時には1時間ごとに捕集し、

ゲルマニウム半導体検出器でガンマ線を計測。

高濃度だった3月15日分は日本分析センターに委託して

ベータ線核種の放射能濃度も測定していた。

それによれば、

福島第一原発1、3号機の爆発を経て2号機も状態が悪化していた15日は、

午前3時台にヨウ素、テルル、セシウムなどの放射性物質を12核種、

大気1立方メートル当たり計41.6ベクレル検出。

数値は午前7時台から急上昇して9時台に261.2ベクレル、

10時台にピークの1205ベクレルに達した。

このとき最も多かった放射性核種はテルル132で390ベクレル、

次いでヨウ素132の280ベクレルだった。

テルル132は半減期が約3日で、

ベータ線を出しながらさらに半減期が2.3時間と短いヨウ素132に変わる。

つまり両者は「親子関係」にあり、

次々とベータ崩壊をして別の放射性物質に変わっていく。

データによれば、

15日10時前後はこの「親子」が東京に降り注いだ放射性物質の半分以上を占めている。

山田名誉教授は

「初期被ばくといえばヨウ素131(半減期約8日)とお決まりのように言われていたが、

それ以前にテルル132、ヨウ素132にも注目しなければならず、

実際に東京の大気中にあったのはその両者が大半だということがわかった。

これは非常に重大な事実だ」と指摘する。

●「安全」強調、縦割り態勢で生じた「死角」

このデータについて、

元都環境局職員で廃棄物処分場問題全国ネットワーク共同代表の藤原寿和氏は

「東京方面にホットスポット(放射線量の高い場所)が生じたときに、

都内でこれほど詳細なデータがとられていたとは知らなかった。

埋もれていた貴重なデータであることは間違いなく、

詳しく解析する必要があるのではないか」と話す。

なぜこれほどのデータが「埋もれて」しまっていたのか。

産技研の放射能測定部門は
昭和30年代に設立された旧都立アイソトープ総合研究所の流れを汲む。
大気塵中の放射能濃度測定はチェルノブイリ事故以来、
都の地域防災計画に基づいて行われ、
今回の福島事故でも地震翌日から24時間態勢で実施。
測定結果は毎回、産技研から本庁に伝えられた。
ただし、都立工業技術センターや繊維工業試験場などとの統合を繰り返し、
地方独立行政法人となった現在の産技研の管轄は、
都産業労働局の「創業支援課」。同課自体は放射能測定や原子力防災とは縁遠い。
データも当初、ヨウ素131、ヨウ素132、セシウム134、セシウム137の4核種
についてのみ公表されていた。
テルルを含めた12核種のデータは11年12月26日になって、
3月から9月末までの測定調査の報告書の中で公表。
その形式は一貫して数字が羅列されたPDFファイルで、意味を読み取りにくい。
発表内容も
この期間の大気浮遊塵の吸入による内部被ばく量をシーベルト(Sv)換算すると、
成人で24マイクロSvと推計され、
「自然界に存在するラドンの吸入による年間400マイクロSvに比して小さなものとなっている」などと「安全性」が強調されていた。
報告書について
「記者クラブへの投げ込みとレクのかたちで報道発表し、新聞4社ほどの記事になった」
(創業支援課)というが、
いずれも「安全性」を取り上げて扱いも大きくなく、
産技研の測定担当者は「マスコミの反響はほとんどなかったと記憶している」と話す。
一方、環境中の放射能測定は旧都立衛生研究所の流れを汲み、
保健福祉局管轄の都健康安全研究センター(新宿区)も担っており、
塵や雨など降下物中の放射性ヨウ素とセシウムの濃度を
11年3月18日から毎日測定、公表している。
また、原子力防災を含む地域防災計画を立てるのは総務局。
こうした縦割り態勢の中でデータが埋もれる「死角」が生まれたともいえそうだ。
 
●「逃げる」だけでない避難計画を
 
山田名誉教授は産技研のPDFから1つ1つの数字を表計算ソフトに移してグラフ化。
これに健康安全研究センターが同期間に測定した
1時間ごとの放射線量データを重ね合わせるなどして細かく分析した。
そこから、放射線量と放射性核種濃度のピークがほぼ一致し、
15日10時前後の6時間ほどに集中していることがわかった。
また、この東京のデータを基に福島の原発周辺地域を中心とした
各地の空中浮遊核種濃度を推計、双葉町では
3月12日午前6時に1立方メートル当たり
292万ベクレルに達したとの数字をはじき出している。
山田名誉教授は、次のように訴える。
「まず、東京都民はあの3月15日午前10時ごろにどこにいたかを思い出してほしい。
原発20キロ圏内では『逃げる避難』しか想定されていなかったため、
避難中や避難先でも屋外にいて初期内部被ばくを受けた。
避難の目的を『逃げる避難』から『初期被ばく防止』に切り替え、
線量の上昇を察知したら数時間後に大量の放射能が浮遊、降下してくる
と想定して住民を適切に待機させるような避難計画を立てるべきだ」
なお詳細な論文は、学芸総合誌『環』(藤原書店)で発表される予定だという。
 
~参考~
 
セシウム:水溶性
(⇒体外代謝、比較的「易」
/原則:「生物学的半減期」の想定内
セシウムボール:不溶性
(⇒体外代謝、比較的「難」/
例外:「生物学的半減期」の想定外)
 
(日本経済新聞 2017年6月11日)
 
東京電力福島第1原子力発電所事故の際、
放射性セシウムを含む未知の微粒子(セシウムボール)が
原子炉から放出され、
遠く関東地方まで飛んできた
ことが 最近の研究で分かった。
 
従来知られてきたセシウム放出物
とは体内に取り込んだ場合の
健康への影響も異なる
と考えられる。
 
事故の進展を推測する手がかりとし ても注目される。
 
セシウムボールを最初に見つけたのは
茨城県つくば市にある気象研究所の研究チームだ。
 
大気汚染の観測装置のフィルターから
直径2.6マイクロ(マイクロ は百万分の1)メートルの
セシウムを含む球形粒子を発見した。
 
装置に粒子が採取されたのは
2011年3月14日から15日の間。
 
福島第1原発で炉心溶融 (メルトダウン)が
次いで起きていたと考えられているころだ。

研究チームが解析を終え発表したのは2013年夏だ。
 
この発見は、
事故で広がった放射性物質の影響を調べている
科学者らの間に懸念を呼び起こした。
セシウムボールは水に溶けない微粒子だったからだ。
(⇒本来は、放射性セシウムやヨウ素は、「水溶性」核種として知られている。

2017年5月には
東京理科大学などが、
セシウムボールが
関東地方の広い範囲に飛んできたことを学会で発表した。

炉心が溶融した原子炉から出る
放射性セシウムは、
大気中の成分と結合し
化合物(水酸化物や硫化物など)の微粒子となり広がる。
 
これらは可溶性で地面に落ちるとセシウムは水に溶けた後、
土壌粒子と固く結びつく。
 
表土をはがせばセシウムは除去できる。
 
体に取り込んだ場合、
1~3カ月程度で半分が体外に排出される。
(⇒いわゆる「生物学的半減期」
 
セシウムを含む食物をとらないよう
心がければ内部被曝(ひばく)は減らせる。

一方、
セシウムボールは地面に落ちてもセシウムは溶け出さず、
土壌に固定されない。
微粒子は再飛散の恐れがある。
 
体内に入ると肺の中などに長くとどまり やすい。
 
大きさが大気汚染の原因となる微小粒子状物質PM2.5と同程度で、
吸い込むと出にくい。
 
森口祐一東京大学教授は
「健康影響を知るうえで
従来の考え方が適用できない」
と話す。

現在、複数のチームが謎の粒子を追いかけている。
小暮敏博東大教授らはセシウムボールの構造や成分を詳しく調べた。
 
ケイ酸塩ガラス(窓ガラスの主要成 分)の中に
セシウムや鉄、亜鉛などが閉じ込められていた。
原発に近い場所では
10マイクロメートルを超える大きさで丸くないものも見つかった。
 
健康影響を把握するうえで何より知りたいのは、
放出量と放出のタイミングだ。
 
東大や東京理科大などの研究者らは
東北、関東地方にある
大気中の浮遊粉じん観測装置のフィルターを集めて調べ、
セシウムボールがいつ、
どれくらい飛んでいたかを割り出そうとしている。

2011年3月12日ころに北に流れた
1回目のプルーム(放射性物質を運んだ空気の流れ)では
セシウムボールは見つからず、
 
2011年3月15日に関東に到達した
プルームに多く含まれていたことがこれまでに判明。
 
九州大学などの分析では、
2011年3月15日に
東京都内でとらえた放射性セシウムの8~9割が不溶性だった。
 
つくば市より南の関東地方南部でも
2011年3月15日に飛来したと考えられる
セシウムボールが見つかった。

中島映至東大名誉教授らは
福島第1原発からは9回のプルームが出たと推測する。
 
このうち
福島第1原発2号機から出たと考えられる
2回目のプルームが2011年3月15 日に関東に来た。
 
2号機は
2011年3月14日夜から冷却ができなくなり
2011年3月15日にかけて炉心溶融が進んだと考えられている。
 
粒子が2号機のものだということは
放射性物質 の構成比から推定できる。

2号機では
2017年2月、
東京電力などが格納容器内にロボットを入れたところ、
原子炉本体(圧力容器)の外側で非常に高い放射線を検出した。
 
その正体は不明だが、
炉心溶融で発生した様々な放射性物質が
相当な量、原子炉の外側に広がることを示唆する。

セシウムボールの主成分のケイ素はコンクリートや断熱材に含まれる。
 
溶けた核燃料がコンクリートなどを蒸発させ、
それが大気中で急冷しガラス状に固まる際に
セシウムなどを取り込んだというシナリオが想定されている。

東京理科大チームは、
直径約1マイクロメートルのセシウムボール1個に含まれる
放射性セシウムの量は1ベクレル以下と報告する。
 
飛散地域の空間放射線量 を上げるほどではなく
外部被曝を心配する必要は小さい。
 
ただ帰宅困難地域の住宅内のホコリの中に
セシウムボールがあったと東大が報告している。
 
掃除や除染のために立ち入る際には
吸い込まないようマスク着用などの注意が必須だ。
 
事故の進展過程を知り、
健康影響の全体像を把握するためには
セシウムボールについてさらに詳しい研究が必要だ。
 

 ~参考

 

〔第11回 「飲食セーフティネットワーク」第2部

川根眞也 氏

(内部被ばくを考える市民研究会/埼玉中学理科教諭)

「ホットパーティクル」〕

(2015年1月20日)

 

 

 

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(中日新聞 2016年6月27日)      
東京電力福島第1原発事故の発生から
4日後に東京に降下した放射性セシウム
の89%は、
ガラス状の微粒子に溶け込んだ状態だった

との研究結果を、
九州大の宇都宮聡准教授らが27日までにまとめた。
セシウムは
雨などで洗い流されると考えられていたが、
直接的に除去する方法でなければ
環境に存在し続ける可能性がある
という。
チームは
「健康への影響について考え直す必要がある」
としている。

チームは、事故発生後の2011年3月15日、
原発から約230キロ離れた
東京都内で採取された放射性降下物を分析した。
 

【放出された放射性物質、1年で地表30cm程度まで浸透の可能性】

チェルノブイリ:

(事故から約7年後に)地表下20cm地点に堆積

福島:

(事故から約1年後に)地表下30cm地点に堆積

 
 

 

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【酷く放射能まみれの東京の空気(ウラニウム約3,000ベクレル/kg等)の恐怖】

 

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〔福島第一原発、各原子炉等で起きた主な事象〕
◎1号機(2011年3月12日午後3時36分『水素爆発』)
2号機(2011年3月15日午前6時20分『爆発(水素爆発?)』)

←大気汚染の8割を占める
◎3号機(2011年3月14日午前11時1分『爆発(水素爆発?)』)★
◎4号機(2011年3月15日午前6時10分『水素爆発?&大火災』)

 

東日本汚染地帯から避難せよとECCRの勧告

~英ウェールズとラトビアのリガで放射性物質の観測開始

 

2011年3月15日深夜には,

(日本時間14日午前11時1分)に3号炉の爆発が起きたことから,

放射線量の観測が重要になるとして、

LLRCは英ウェールズのアバリストウィスと

北ヨーロッパはバルト海に面するラトビアのリガにあるモニタリング・ステーション、

そしてボランティアから送られる放射線量の記録を集めはじめたとするメールがあった。

また,LLRCのホームページでは,MOX燃料を装荷した3号炉の猛烈な爆発は,

格納容器は無事だと言う当局の言い分は疑わしく,

核燃料の一部が大気中に放出されたという懸念を示していた。

2011年3月15日未明に
福島第一原発から
100km離れた茨城県の東海村で5μSv/h
250km離れた東京の本郷で0.5μSv/h
平常より約100倍~10倍高い放射線が観測され,
福島第一原発から放射能が漏れ広がっているとする報道が伝え始められていた。
当時、世田谷区の自宅のベランダにおいた放射線測定器が、
16日には,1日分の積算線量で通常よりほぼ1μSv多くなっていることがわかった。
テレビ報道で各地の放射線量の測定値が報道されるようになり,
16日の新宿区で0.16μSv/hを観測した。
(その後の報道によると関東地方北部に最初の放射性プルーム(原子雲)が
広がってきたのは、3月14日深夜~15日にかけてのことだった。
〔→「フクイチ⇔東京への飛来時間は約12時間」。〕
また,世田谷区では15日の終日にわたって高い空間線量を観測したという報告もある)。
 
PS
 
〔2011年3月12日~20日フォールアウト~拡散状況〕

首都圏のフォールアウト(降下)状況。
下にスクロールしていけば連続的に確認可。

 

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